向いただけで、また空を眺めた。
「何をしてるの。」と千枝子は言った。
「雲を見てるんです。面白いですよ。」
「面白いより、凄いわね。」
「こんな時に、竜が天に昇るって、昔の人はうまいことを言ったものですね。」
 黒雲はその厚みが測り知れないほど重畳していた。突風が表面を掠めてるらしく、砂塵をでも挙げるように灰色の煙が千切れ飛び、更に内部にも突風が荒れてるらしく、真黒な塊りが巻き返していた。日の光りは全く遮られて、薄闇が雲から地上へと垂れていた。
 大粒の雨が、ぽつりと来そうでもあり、一度にざあっと来そうでもあった。だが、雷鳴は少しもなく、大気は乾燥していた。
 千枝子は突然、小池に呼びかけた。
「小池さん、煙草を一本下さらない。」
 小池は彼女の方を眺めた。
「煙草を、どうするんですか。」
「勿論、吸うのよ。」
 彼女も縁先に腰掛けて、唇の先で煙をふかした。癖のない細そりした指と、貝殻のような美しい爪との、その手先は、映画女優のそれのようであり、薄い皮膚の張りつめた頬は、蝋細工のようだった。小池は雲の方をやめて、彼女の方を眺めていた。
「煙草なんか吸って、いいんですか。」
「わたしだっ
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