意味に微笑んだ。
「それから、も一つ……あの五郎とかいう店へ連れていって下さいませんかしら。」
 お菊さんは、こんどは安心して微笑んだ。
「それは、わたくしには……。お坊ちゃまにお頼みなさいませよ。」
 お坊ちゃまという言葉を納得する間、千枝子は黙っていた。
「お酒を飲みに行くのではありません。あすこで働けるかどうか、見に行きたいと思っています。」
 お菊さんは返事をせずに、野菜の籠を取り上げた。そして二人とも無言のまま家の方へ行った。
 縁先に腰掛けて、お菊さんはしみじみと千枝子の顔を眺めた。
「つまらないことを考えるのは、おやめなさいませ。誰でもどんなことでも出来るというわけではございませんからね。」
「いいえ、ただ、何でもよいから一生懸命に働いてみたいと思います。」
「今迄どおり、御勉強なすったら宜しいではございませんか。」
「勉強よりも、働くことです。」
 お菊さんは口を噤んで、野菜を整理した。そこへ、戸村が姿を現わすと、千枝子は改まった御礼を言い、野菜の袋をさげて帰って行った。その後ろ姿を眺めながら、お菊さんは先刻の話を伝えた。
「あのひととは、なんだか話がしにくいわ。全くの
前へ 次へ
全46ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング