じと覗き出していた。私の視線を迎えて、彼の重たそうな瞼は静にもちあがり、ぼんやりした微笑が眼にまで拡がって穴を隠してしまった。だが、消えてしまったその両眼の穴が、なにか私を冷りとさした。
 私達――彼をも含めて三四人の私達は、少しく酔っていたし、室は薄暗かったが、それでも、彼はあまり口を利かず、これが顔面筋肉の自然の姿態だというようなぼんやりした微笑を浮べていた。後になって、彼の時折の眼付にも私が見馴れてくる頃、彼は議論に加わることもあったが、特に頭に残るような意見も提出しなかったようだ。或る時、何かの機会に、実行の方法が決定しない前の議論は無意味で、議論は実行方法が決定してから後にやるべきものだというようなことを、彼が言い出し、それではまるで議論にも話にもならないと、反駁されたことがあった。それでも彼はやはり、ぼんやりした微笑を以て応じた。彼は何か言葉が足りないか言い方がまずかったのであろう。それともやはり大陸ボケだったのであろうか。
 私達がよく落ち合ったその家は、日本橋裏通りの小さな酒場だった。二つの街路に挾まれた二階家の、表の方は刳貫細工物の問屋になっていて、その裏口の階下、昔は倉庫ともつかない物置場であったらしいのを、山小屋風に改造したもので、広い土間と框の低い小部屋が一つ、窓が狭くていつも薄暗かった。商売はたいてい夕方から夜にかけてだが、電球の燭光が足りないのでやはり薄暗かった。椰子の実を灯籠風に刳り貫いたのへぽつりと灯火がともって、入口にかかげてある、それが目標しだった。中にはいると、長髪で没表情な大田梧郎が、また時には、いがぐり頭で愛想笑いを浮べてる戸村直治が、酒を出してくれた。日本酒、ビール、各種のウイスキー、時には焼酎もあったが、この焼酎だけはとびきり上等だった。料理は殆んど出来ず、ピーナツ、するめ、ハム、※[#「缶+権のつくり」、211−上−23]詰類に過ぎなかった。客はたいていインテリ層の顔馴染みの者で、見識らぬフリの客には居心地がわるかった。店の名前は、大田梧郎の名を取ってただ「五郎」で、飲み仲間では、五郎へ行こうとか、五郎さんとこへ行こうとか、そういう風に言われていた。
 この酒場のどこが気に入ったのか、波多野洋介はしばしばやって来た。もっとも、私達が彼を誘ってくることも多かった。彼は帰国後、当分の間はという殆んど無期限の有様で、ぶらぶら
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