屋建築費だけを強奪し、そして出来上ったものなのである。設計などすべて友人たちに任せたが、ただ二つ私は註文を出した。一つは書斎の片隅の三畳の畳敷きで、一つは前述の猫の出入口だ。ロザリヨの辰野隆君や故人久能木慎治君などは、猫と言ったってどんなネコのことやら、とからかったが、もとより約四寸四角だから女性などははいれない。
ところが、或る深夜、異様な物音がした。私の家の猫はだいたい喧嘩に弱く、よその猫から追っかけられて逃げ帰ることが多いが、その夜はちと気配が違う。家の中にまで怪しい唸り声がする。私はまだ起きていたので、そっと立って行き、猫の出入口を他物で塞いだ。家の可愛い猫をいじめる怪しからん奴、少し痛めつけてやれというつもりだ。子供たちや女中まで起き上って来た。玄関の方に唸り声がする。箒や棒切れなど持ち出して、応援に行って見ると、相手は猫でなく、イタチだった。イタチならば、思いきって痛めつけてやれというので、その深夜、家の中でイタチ狩りが初まった。だが、こちらが怪我してはつまらないし、先方は自由自在に飛び廻る。室や廊下を右往左往したが、遂にイタチも疲れてか、玄関の物置棚の上にうずくまった。それを箒で殴りつけようとしたとたん、私たちは殆んど息がつまった。強烈な臭気、眼もあけられず顔も向けられない臭気だ。もうこちらの負けで、猫の出入口を開けてやるばかりでなく、玄関の扉を開いて空気の流通をはからねばならなかった。
イタチの最後っ屁ということは聞いていたが、これをまともに嗅がされたには驚いた。
猫は今でも、その出入口から通行している。よその猫も時折はいって来る。私の家の白猫はじっさい喧嘩に弱い。
私はいろいろな猫を飼ってみた。私の生れは寅歳で、寅歳生れの人の家には猫は育ちにくいとの巷説があるが、それは嘘だ。私の家には、トラ猫もいたし、ブチ猫もいたし、黒猫もいたが、今では、異色の差毛が一本もない純白ものばかりを飼うことにしている。いくら猫は清潔ずきだとしても、やはり泥や煤に汚れることがあるし、白猫が最もきれいである。その代り、かかりつけの野口猫医師の説によれば、白猫はどうも体力が弱いそうである。
白猫が今、私の家には三匹いる。日本種ばかりである。嘗てアンゴラ種の猫を飼ったことがあるが、アンゴラだのペルシャだの長毛のものは、空気の湿度の高い日本では聊か無理だ。短毛のシャムはよろしかろうが、純白はあまり見当らない。大仏次郎君からシャム猫の子を貰うつもりだったが、純白でないから止めた。さし当り、純白の日本猫、そして尻尾のすんなり長いもの、ときめている。金目銀目は実はあまり珍重したものでなく、水色に青く澄んだ眼が望ましい。
だいぶ前のことだが、野上彰君が猫を食う会を拵えようと私に提案したことがある。猫好きである以上、猫の血の一滴ぐらいは体内に入れておくべきだ、との趣旨から、猫の肉を食おうというわけだ。猫好きは多いし、猫を好んで描く画家も多い。この議が大仏次郎君に伝えられると、さしもの猫好きも眉をひそめた。よしそれなら、なんとか騙かして食わせてやれと、会合の実現をはかったが、遂にだめだった。犬なら赤犬の肉がうまいとされているが、猫なら何色がうまいか見当がつかない。但し、猫の肉は泡立ちがひどいそうだが、その泡を除けば、うまいことは確からしい。然し問題は、猫の肉をどうして手に入れるか、そしてどういう風に料理するかだ。知り合いの料理屋や料理人に相談してみたところ、初めから断られたり、請け合ったままで立消えになったり、遂に実現をみない。
そのうちに、猫肉試食などに対する興味を私も失った。猫を可愛がることだけで充分に面白い。夜分は、白猫の三匹がそろって、或いは一匹か二匹だけ、私の布団の中にもぐりこんで来、温まりすぎると布団から出ていく。徹夜で仕事をしていると、朝まで座右に侍ってることもある。この節の猫は、病死の時も人間に介抱して貰いたがるし、お産も人間の寝床の中でしたがる。厄介なことだと思われないこともないが、今のところ幸にみな健康だし、女猫はまだ子供である。
昼間、猫たちは、炬燵の上に寝そべったり、日向にまどろんだりしている。雨の日には、縁側の硝子戸を細めに開けておいてやると、そこに行儀よくうずくまって、外を見ている。雨だれを眺めているのだろうか、その音に聞き入っているのだろうか。いつまでも、倦きずにじっとしている。そんな時、彼等はいったい何を考えているのであろうか。
古代エジプトでは猫は神獣だった。近世まで猫は一種の神通力を持ってる魔物だった。ただの飼養動物になってしまった現代の猫にも、私は特別な愛情を持つのである。
底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
※底本
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