歯糞を嗅いでみろ。ありとあらゆるものを嗅いでみろ。
 いつしか、彼奴の姿がまた現われて、傍にぼーっと立っていた。
「なんだ。」
「早く行け、早く行け。」
「どこへ行くんだ。」
「好き勝手なところへ行け。」
 見返すと、姿は消えてしまった。好き勝手なところ、そんなところがあるものか。たといあったにせよ、逃避は嫌だ。意力で開拓する方向を俺は辿りたいのだ。猫捨坂の異臭を、風よ、吹き払ってしまえ。
 俺は一歩一歩足をふみしめて、坂を下りて行った。もう振り向きもしなかった。
 母はうとうと眠っていた。半ば昏睡だった。
 その翌早朝、母は死んだ。姉はがっくり気を落して、何をする力もない。義兄もぼんやりしている。俺が先に立って葬儀に念を入れた。



底本:「豊島与志雄著作集 第四巻(小説4[#「4」はローマ数字、1−13−24])」未来社
   1965(昭和40)年6月25日第1刷発行
初出:「新文学」
   1948(昭和23)年12月
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2008年1月16日作成
青空文庫作成ファイル:
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