のすべてだ。逞ましい速度で回転しながら、しかも音は立てず、ずずっと押し寄せてきては、跡形もなく消えてゆく……。眩暈に似ている。
「田代さん。」
 たしかに声がして、振り向くと、さよ子が立っていた。幻影ではない。
「どうしたんだい。」
「あぶないから、ついて来たのよ。」
 そんなはずはないのだが、然し、眼の前に立っているのだ。
 何とも口が利けなかった。
 彼女は私のそばに、寄り添って屈み、私の肩に身をもたせかけた。
「明日にでも、また来てね。今晩はだめだけれど……いつだっていいわ。ね、どこかに連れていって。旅行したいわ。」
 いったい、何を言ってるのか。何を考えてるのか。私は薄暗い中に眼を見張って、彼女の方を顧みると、彼女はにこりともせず、真剣な面持ちだ。
「でも、悪いかしら。あなたには、奥さまもあるのでしょう。あたしはかまわないけれど……。いいわ、あなたを信じます。あたしも信じてね。」
 何ということだろう。私は自分をも、彼女をも、殴りつけ踏みにじりたかった。
 彼女の体温が心に蘇ってきた。然し、それは誰の体温でもよかったのだ。彼女の体温とは限らないのだった。ただ然し、孤愁の底に沈ん
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