つも彼は平然としていた。朝の出社に遅れることはあっても、夕方の帰りを急ぐことはなかった。口数が少く、ものぐさで、ひとを喰ったようなところがある。
 その堀田が、ふだんから蒼白い顔を、なおすこし蒼ざめさして、席に戻って来た。卓上に肱をつき、へんな苦笑を浮かべて、煙草を吹かした。
「どうしたんだい。」出しゃ張りの笠原が真先に尋ねた。
「なあに、円満辞職の勧告だよ。」そして彼はまた苦笑した。
 その苦笑が、実に変梃なのだ。私はそのような苦笑をめったに見たことがない。彼は髪の毛を短かめに刈り込み、強度の近眼のため目玉が飛び出してるように見え、頬は蒼白いが肉附が厚ぼったく、※[#「臣+頁」、第4水準2−92−25]は円く短い。その頬に、ゆらゆらと震えるような皺を軽く刻み、飛び出てる目玉を据えたまま、一文字に結んだ口を長く引き伸し、鼻下をへんにくしゃくしゃにして、苦笑したのである。そのまま待ち続けても[#「待ち続けても」は底本では「持ち続けても」]、笑い出しもすまいし、泣き出しもすまいし、ただ屈辱に甘んじてるだけの、卑屈な印象を与える。その苦笑はすぐに消えたが、私の心に暗い影を投げ入れた。
 堀田は煙草を吹かしている。誰も暫く口を利かなかった。やがて笠原がまた尋ねた。
「君は、それを承知したのかい。」
 堀田は笠原の方を向かず、窓の方を見ながら答えた。
「饒舌るだけ饒舌らせて、最後に承知してやった。どうせ、僕が首切られることは分っている。退職金でも貰って、職場転換だな。」
 馘首流行の時代だ。政府の方でも人員整理。民間でも人員整理。そしてこの会社でも既にそれに着手しているし、われわれの室では堀田が槍玉にあがることは、暗黙のうちに分っていた。従業員組合というものが出来てはいるが、規約などもいい加減なもので、この会社のような形体では、経営者側に対しては全然無力なのだ。その上先方には、他の姉妹会社へ転任させて苦境に立たせるという手段もある。この職場転換には、一ヶ月ほど前、同僚の原野がすっかり困却した例がある。堀田はいま、職場転換だとうまいことを言った。
 だが、彼はこれからどうするつもりなのであろうか。退職金とて、五万かせいぜい十万に過ぎないだろう。そんな金で何が出来るものか。彼には妻と二人の子供がある。財産はないらしい。或は前々から何等かの心算があったのかも知れないが、それとて覚束
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