楽しみを見出してるらしい妻が、そしてまた恐らく、同様な楽しみを見出すだろう綾子が、憐れなのだ。この母と娘の存在そのものが、憐れなのだ。縁につながる私自身にも、その憐れさがはね返ってくる。
 鞄の中に、小風呂敷包みの弁当をつっ込んで、私は電車までの道を急いだ。やきいも、やきいもだ。今日の弁当はお汁は出ませんよ、と妻は言ったが、何がお惣菜にはいっていることやら。古ぼけたその鞄だって、勤め人の体裁に持ってるだけで、大したものは中にはいっていなかった。
 愚にもつかない事柄だが、思いようではしみじみと身にしみる、それらのことが、私の憂欝の始まりだった。この種の憂欝に沈みこみ、重い頭を強いてもたげて、おずおずと眺めると、人の世が憐れに見え、人間の姿が憐れに見える。なにか重い荷を背負い、なにか重い鏈《くさり》を引きずって、とぼとぼと歩いている、そうした感じが、我にも他人にも、誰にも、相通ずる。これを称して、ヒューメンな感情だなどと文学者は言うが、一介のサラリーマンにとっては、ヒューメンな感情ほど惨めなものはない。体力の消耗の故であろうか。精神力の消耗の故であろうか。
 身動きも出来ないほど込み合った電車で疲れ、会社の事務でまた疲れた。算用数字がやたらに並んでる紙片を、分類し系統立てて、書記の方へ回すのである。書記は黙々と謄写している。カーボン紙のインクがにじめば主任に叱られるので、ペン先きを機械のように動かしている。衝立の向うからは、タイプの音が断続的に聞えてくる。かすかな笑い声も時々するが、それだって、退屈しきってる笑い方だ。
 不思議な会社である。統計だとか、商事だとか、製作だとか、別々の会社になっているが、同じビルの中に雑居していて、大元は一つのものだ。代理販売部までもある。進駐軍関係の委託の仕事が、最近先方に接収されてしまったので、人員はだぶついている。午の休憩時間は、二時頃までだらだらと延びる。それもまた却って、こういうオフィスでは退屈の種だ。
 タイプの音が一番先に初まる。窓際に頬杖をついて、そのがちゃがちゃした音を聞いていると、私はふと、千葉に住んでる姉のことを思い出した。いつか訪れた時、姉は忙がしくミシンを踏んでいた。今年から小学校にあがった男の子があるのだ。その姉の癖まで、まざまざと見えてきた。
「敏夫さん、どう、お元気?」
 口許に大きな然しかすかな笑みを浮
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