だと思ってやしないよ。」
二人はそれきり黙った。隆吉は机の方へ向き直って、書物をこそこそ弄りだした。暫くするとまた振り返った。然し周平の黙りこくってる様子を見て、再び机の方を向いた。周平が居る間は、することが無くても、兎に角勉強の時間ときめてるらしかった。それがまた周平には不快だった。いい加減辛抱した後、彼はぷいと立ち上った。
然しその後で彼は、自分の態度を自ら責めた。横田ら二人の好意に報いるには、出来るだけ隆吉に親切を尽してやるべきだった。今の場合彼にとって、月々の二十円は非常に有難かったのである。
十一
漢口《はんこう》の水谷から送ってくる僅かな学費は、ともすると途切れがちだった。向うの店に行って働くことを断った後、そういう決心ならばといって無条件に恵んでくれる志だっただけに、こちらから催促するわけにはいかなかった。而も水谷は周平の遠縁に当るきりで直接の縁故がなかった。学費も、周平の保護者みたいな地位に立ってる野村の許へ送ってきて――銀行の関係から便利なせいもあったろうが――周平は野村の手から受取っていた。彼は初めからの行きがかり上、野村に金を借りることも、水谷に余分の請求をすることも、意地として出来なかった。郷里の自家の没落と共に、近しい親戚には多大の迷惑をかけてるので、其方へ縋る訳にもいかなかった。「一人でやっていく!」そう彼は公言したのだった。
困る時には書物を売り払ったり、或は着物の包みを抱えて質屋へ行ったりして [#「行ったりして 」はママ]兎も角も一時の凌ぎをつけていた。然しそれも長くは続かなかった。やがて、書物は無くなり、着物は流れてしまった。下宿の払いもたまった。そして途方にくれてる所へ、横田の助けを得たのだった。その補助で漸く月々が越していけた。
横田のことを思うのは、彼にとって力であった。更に、横田夫人――保子のことを思うのは、彼にとって慰安でもあり光明でもあった。彼は長らく休みがちだった大学へも、落着いて通えるようになった。
それが、変に心が外れ出したのだった。また学校を休みがちになった。朝は遅くまで寝てることがあった。何をしても面白くなかった。勉強するのもつまらないような気がした。何を考えるともなくぼんやりしてると、いつのまにか保子の姿を思い浮べていた。次の瞬間には吉川の死のことを考えていた。そしてふと、隆吉が吉
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