代錯誤だ、もしくは、一種の僻みだよ」
周平は村田の言に逆説を認めはしたが、最後の言葉を聞いて、先日保子からも僻みだと云われたことを思い出した。果して自分のうちに一種の僻みがあるのかしらと考えてみると、僻みとまでは云えなくとも、少くとも余りに神経過敏の点が認められた。彼は厭な気がした。その問題に触れたくなかった。ふと思い出して、別のことを云い出した。
「先刻《さっき》君が云いかけた横田さんの野心というのは、一体どんなことだい。」
「うむ、あれか。」と答えて村田は一寸眼を見据えた。「なにつまらないことだよ。誰にだって、野心だの抱負だのはあるものだからね。……それよりも、面白い話をしてきかせようか。君の参考にもなるかも知れない。」
「是非きかしてくれ」と周平は云った。
それでも村田はなかなか云い出さなかった。周平が促すと、困ったような眼付をした。
「さあ……君になら云っても構うまいけれど……然しこれこそ本当の内密《ないしょ》だぜ」
村田は杯をぐっと一口に干して、次に煙草を一息深く吸い込んで、それから話しだした。
「君が教えてやってる隆ちゃんね、あれは横田さんの子でもなければ、奥さんの子でもないことは、君も知ってるだろう。」
「知ってるとも、第一奥さんはまだ二十五六だろう。あんな大きな子があってたまるものか。……何でも、親戚の子を事情あって引取ってるのだと、僕は奥さんから聞いたんだが」
「その事情というのに、悲痛なロマンスがあるんだ」
周平は眼を見張って、村田の言葉に耳を傾けた。
「僕も悉しいことは知らないんだがね、隆ちゃんは、横田さんの従兄《いとこ》と或る女との子なんだ。横田さんと奥さんとが、まだ単に友達というに過ぎなかった頃のことだが、その従兄――たしか吉川とかいう名前だったが、その人もやはり、奥さん……いや保子さんと云った方がいい……保子さんと知っていた。横田さんの父親と保子さんの父親とは親しかったから、自然に両方の家族関係の人達も知り合いになったのだろう。所が、その吉川という人が、保子さんに恋をしたんだ。然しごく内気《うちき》な人だったものだから、独りで考え込むきりで、誰にも黙っていたのだ。そのうちに、横田さんと保子さんとの結婚の話がまとまって、二人は公然と許婚《いいなづけ》みたいな交りをすることになった。それを見て吉川さんはひどく煩悶しだした。遂には堪りか
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