淋しい心を持っていった。隆吉はその懐へ飛び込んできて、父母のことで彼の急所をつっ突いた。彼の心は更に乱れた。それが保子へ反映して、彼女の苛立ちとなるのだった。
 彼はどうしていいか分らない自分自身を見出した。そしては次第に、酒杯のうちに身を浸していった。

     三十

 諸方のカフェーへ出入するようになってから、周平の身の廻りは益々淋しくなっていった。薄っぺらな蒲団、二三枚の着物、セルの袴、七八冊のノート、粗末な古机、前年から持ち越しのソフト帽、などが彼の所有の全部だった。柳行李まで売り払った。大学の制服も質屋の蔵に納まったきりだった。そして、当座の必要品だけのがらんとした室に自分を見出して、彼は半ば自暴自棄な悲壮な感じに打たれた。
 そういう中にあって、彼は内心の二つの矜《ほこ》りをあくまでも把持していった。――一つは、保子の好意を濫用しないことだった。彼は如何に困っても、彼女から決して金を借りなかった。月々渡されるだけを黙って受取るきりで、それ以上の物質的補助を仰ぐことは、自分の心をも彼女の心をも涜すことのように思われた。それがどんなに苦しくとも、やはり、やはり、彼女を心のうちに清く懐いていたかった。然し、何か奇蹟でも起らない限りは、それはどうにもならないことではあった。――他の一つは、「労働組合と労働者」の飜訳を粗雑にしないことだった。金のために濫訳を事とするのは、自分の精神を堕落させることのように思われた。然しながら、訳筆は遅々《ちち》として進まなかった。不案内な内容をひねくれた文章で書いてある上に、少しも気乗りがしなかった。悲壮な心に痛快な響きを与える文句が所々に出て来ないでもなかったが、彼はその思想を研究してみるだけの余裕がなかった。倦怠の方が先にたった。そして、月に二三十枚の原稿を野村の所へ届けて、渡される僅かな金で満足していた。大変立派な訳だと向うの人が喜んでいた、そういう野村の言葉だけがせめてもの慰藉だった。
 斯くて、彼の二つの矜《ほこ》りも、単なる矜りの外には出なかった。彼の生活は益々困難になっていった。横田の家から貰う報酬と飜訳の僅かな稿料とでは、どうにも支えようがなかった。水谷からは、其後思い出したように三十円送ってきたきりで、ふっつりと便りもないそうだった。
 下宿の払いもたまった。方々のカフェーへもちょいちょい借りが出来た。それで
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