ような」は底本では「見戌ってるような」]心地だった。彼は疊の上を見つめながら、自分自身に向って云うかのように語りだした。
「私はあなたの日記を探すつもりだったのです。」そして彼は、涙が頬に流れ落ちるのをぼんやり感じた。奥さんと云わないであなたと云ってることも、保子がびくりと眉根を震わしたことも、共に知らなかった。「先《せん》にあなたから日記の一部を読んできかせられた時から……いえ、ここに留守に来てから、あの日記を全部見たくなりたのです。どうしてだか自分にも分りません。ただ見たかったのです。そして、あなたの室を探したけれど見つからないので、絶望的な気持になって、半ば自暴自棄にもなって、先生の書斎を検《しら》べたのです。すると、吉川さんの日記が出て来ました。……私は自分自身が堪らなく惨めな気がします。何とでも仰しゃって下さい。どうしていいか自分でも分らないのです。」
 口を噤むと、風が吹過ぎたような静かな心地になった。彼は保子の厳しい声を安かな心で受けた。
「あなたはよくも平気でそんなことが出来たものね、まるで泥棒みたいなことが! それで正気ですか。」
 周平は黙っていた。保子はまた云った。
「あなたは自分のしたことがどんなことだか分っていますか。」
 保子が本当に怒ってるのを周平は感じた。眼を挙げてみると、彼女は少し引歪めた唇をきっと結んで、赤味のさした頬の肉を震わせながら、白目がちに眼を見据えていた。それでも彼は落着いた調子で答えた。
「自分ではよく分っているつもりでいます。」
「分っていながら、白ばっくれて図々しくしてようというのでしょう。」
 周平は抗弁したいのをじっと抑えて、また顔を伏せた。彼女こそ何にも分っていないのだ、と思った。然し、この上自分の心を説明したくもなかった。しようとて出来もしなかった。ただ黙って彼女の叱責を受けたかった。それがせめてもの心やりだった。今更意中をうち明けたとて何になろう。彼女は自分が畏敬してる横田氏の夫人なのだ! それを思うと彼は、背中が冷たくなるのと眼の底が熱くなるのとを、同時に感じた。
「私あなたをそんな人だとは思わなかった。」と保子は云った。「あなたのためには随分尽してあげたつもりよ。此度留守を頼むのだって、あなたならば大丈夫だと横田にも私から保証したのよ。それなのに、あなたはまるで私達を踏みつけにした仕業をしておいて、自
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