げ出した。
 開け放した縁側から、暖い日の光りが室内に射し込んでいた。彼は長い間その光りに浴した。額のねっとりした汗が乾いて、何もかもが空しく思われてきた。一抹の影も含まない澄みきった大空が、寂しく静まり返っていた。その懐に周平は自分自身を投げ出した。地上に存在することが無意味に頼りなく感ぜられた。自分の涙を見て保子が何と思ったか、保子に恋したことが如何に不貞であるか、そんなことはもうどうでもいいという気になった。自分自身が惨めなら惨めでいい。凡てをあるがままにあらせるがいい。これからどうなろうと、そんなことは神の知る所だ。
 周平は立ち上って、着物を着代えた。耳を澄したが、誰も呼びにくる気配《けはい》もなかった。彼は寝床を片付けて階下に下りていった。顔を洗う時、水で頭を冷そうとしかけたが、それも面倒くさくなって止した。
「よかったら御飯にしましょう。あなたを待ってたのよ。」
 そう保子は云ったきり、遠慮深そうに口を噤んでいた。
 然し周平は、彼女の眼がしつこく自分に向けられてるのを感じた。感じても平気だった。自分自身を極端に惨めな絶望的などん底に置いて、そこから空嘯いてみた。何にも恐ろしくなかった。場合によっては、保子の前に赤裸な自分の心をさらけ出してもいい、と彼は思っていた。さらけ出してどうしようという考えはなかった。たださらけだしてしまったらどうにかなりそうだった。彼はまともに保子の顔を見返した。
「井上さん、」と遂に保子は云い出した、「あなた先刻、悲しい夢を見たと云ったわね。どんな夢?」
 周平は一寸答えに迷って黙っていた。
「夢なら話したっていいでしょう。え、どんな夢なの、仰しゃいよ。」
「夢のことなんかどうでもいいんです。」と周平は答えた。
「でも、その夢のことで泣いてたじゃないの。」
「あれは嘘です。」と周平は吐き出すように云ってのけた。
 保子は軽く微笑んだ。一寸間を置いてから云った。
「とうとう白状してしまったわね。だからあなたの嘘は罪がなくていいわ。」
 周平は俄に眼の底が熱くなるのを感じた。涙を落すまいとして歯をくいしばった。すると保子は、しみじみとした調子で云った。
「だけど、悲しいことなんか、本当はみんな夢にすぎないものよ。時たって後で考えてみると、夢をみたような気がするものよ。泣き足りないといつ迄も頭にひっかかるけれど、思うまま泣いてしま
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