、短い受け答えをするが、自分から話しかけることはない。室の隅には大きな蓄音機があるが、それは殆んど使われなかった。――私は彼女と二人きりになるのが好きで、彼女の顔を見ながら、別に話をするでもなく、静かに杯をなめるのだが、そういう時、なんだか彼女の薄命とか不仕合せとかいう感情が胸に来て、しんみりとした切なさを覚えるのである。
 そのくせ、或はその故か、桃代がやって来ると、私はほっと安心する。こんな所の女にしてはいやに手の太い、すべてが大柄なぱっとした桃代は、その存在で、喜美子をかばいこんでしまうようだ。
 桃代は若い妓などを連れて、蜜豆をつっつきに来るのだが、喜美子にやさしい眼差しと言葉を投げかける。白紙に包んだ葡萄糖の大きな塊りを、袂から取り出して彼女に与える。
「これ、なんだか知ってる。」
「あら、こないだも頂いたわ。」
 そんな、前のことなどはどうでもいいという風に、桃代はナイフを借りて、小さな一片を切ってやる。
「食べてごらんなさい。うまいわよ。でも、一度にあまり食べると、下痢をするんですって。少しずつ食べるのよ。」
 桃代は喜美子だけにしかやらない。それを、若い妓たちも、お上さんも、いつものことと馴れてるらしく、わきから手を出さない。――桃代はなんども葡萄糖の塊りを喜美子に持って来てくれた。
 其後、喫茶店カツミを宇山かつはやめて、加津美だけをやるようになると、桃代は葡萄糖の代りに、長唄を喜美子に稽古してやった。喜美子は芸妓になるのではなかったが、一通りの遊芸事は習っていて、桃代が長唄の名取りであるところから、日時をきめず暇に任せて、桃代の方から進んで教えた。
 喜美子は私の前で、何のはにかみもなく三味線を手に取ることもあった。技倆はまだ進んではいないが、覚えたものは確実に自分のものとしてるところがある。私の知ってる限りでは、彼女は「小鍛冶」が好きだ。「稲荷山三つの灯し火明らかに心をみがく鍛冶の道…」のその最初から、彼女の明るい顔は白皙とも言えるほどに澄んでくる。それから、剣を鍛える槌の音と麻衣を打つ砧の音と交錯するあたり、彼女の撥音は鮮かに冴えてくる。――そのように私が感ずるのも、酔い痴れた悲痛な心情から、小狐丸の名剣などに憧れる故であろうか。それとも、一片の清純な愛情を喜美子に寄せてる故であろうか。それはとにかく、喜美子は、喫茶店カツミの濁った空気にはふ
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