「それでは、私がお父さんの代理をも兼ねて行きましょう。」と一清は気軽に答えました。
「いや、お前個人として行くので、代理を兼ねるというわけにはいくまい。」と太玄は考え深そうな眼付をしていいました。
 ところで、荘一清にとっては、父のことよりも寧ろ、友人の汪紹生の方が問題でありました。
 荘太玄は今では、あまり世間のことに関係したがらず、家居しがちでありましたが、その見識徳望の高さを以て巍然として聳えてる観がありました。それ故、呂将軍と共に方家へ招かれるのも不思議でなく、また荘一清は青年ながら、太玄の令息として招かれても不思議ではありませんでした。だが汪紹生はちと別でした。汪紹生は家柄も低く貧しく、ただ荘一清と刎頸の交りを結んでることだけで、方家からわざわざ招待を受ける理由とはなりませんでした。
 彼は怒ったような調子で、荘一清にいったのであります。
「僕は万福山さんとは、君のところで紹介されて、それから二三回逢ったきりだ。特別な識りあいでもない。極言すれば、方福山が旅行しようと、旅行から無事に帰って来ようと、旅行中に野たれ死にしようと、そんなことは僕に何等の関係もないんだ。招待される理由が分らん。」
 荘一清はなにか曖昧な微笑を浮べて答えました。
「だから、気まぐれな思いつきの招待だろう。ただ御馳走になってくればいいんだ。高賓如大佐も招かれてるそうだ。高大佐とは君は暫く逢わないだろう。僕の父は行かないそうだから、気兼ねする者はないし、高大佐と三人で、勝手に飲み食いし饒舌りちらしてくればいいさ。」
「高大佐も来るのかい。」
「そうだよ。」
「おかしいね。」
「おかしいことはないさ。高大佐は呂将軍の参謀で、帷幄の智能だから、一緒に来てもよかろうじゃないか。」
 然し、汪紹生は他のことを考えてるのでありました。それは、彼等の所謂新ヒューマニズム運動の小さなグループに関してでありました。数名の青年を中心に、新新文芸という小雑誌が発行されていまして、そこでは、人類意識のなかに於てではなく民族意識のなかに於けるヒューマニズムが提唱されていました。それが文芸の上では種々の形となって現われ、風俗習慣の方面での解放革新が叫ばれると共に、東洋的自然観の探求などもなされていまして、例えば詩を見ましても、※[#「臣+頁」、第4水準2−92−25]和園の輪奐を醜悪とするもの、天壇の圜丘を
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