あまり真面目だったせいか、黒眼鏡の青年はじっと汪紹生の方を眺めました。そして笑いました。
「あなたは正直だ、だから僕はあなたが好きなんです。……当ててみましょうか。若い女か老年の紳士か、いずれそんなところへ贈るんでしょう。」
汪紹生は黙っていました。
「少しいいすぎましたか。なあに、心配はいりませんよ。」
二人は中海の岸に出ていました。枯蓮の池は蕭条として、午後の陽に冷たく光っていました。楊柳の大木の並木の下には、通行の人もありませんでした。
その楊柳の一本の影に、黒眼鏡の青年は急に立止って、内隠しから、小布に包んだ物を取出し、汪紹生に差出しました。
「お頼みのものです。古物だが、まだ使われてはいません。ちょっと錆びてたところは、僕が磨いておきました。」
汪紹生はそれを受取りました。小布の中には、ボール箱に、革のサックのついた小型の拳銃がはいっていました。
「操縦は簡単だから、分っていますね。弾は十個だけあります。そいつが、実は厄介でしたよ。」
汪紹生はそれをまた小布に包んで、内隠しにしまいました。そして紙幣を二十枚渡しました。
「それから、あとのは、どれほどあげたらいいかしら。」
「あとの……あああれですか。あれは、僕からいい出したんだから、いかほどでもいいんですが、それじゃあ、十枚下さい。」
汪紹生が更に十枚の紙幣を差出すと、相手はそれを無造作に受取りましたが、黒眼鏡の奥から視線をじっと汪紹生に注いでいいました。
「これで終りです。約束は守って下さいよ。つまり、後の分ですっかり帳消しです。あなたが僕から一件を受取ったことも、僕があなたに一件を調達したことも、凡て無かったことになるのです。忘れたのでなく、そのようなことは無かったのです。宜しいですか。」
「宜しい。約束だ。」
「約束などもないんです。」
「なんにもない。」
「そうです、なんにもないんです。」
黒眼鏡の青年は朗かに笑いました。
そして二人はまた、楊柳の並木にそって湖岸を歩いてゆきました。
「こんどは、用事のない時に来て下さい。御馳走しますよ。」と黒眼鏡の青年はいいました。「あの女は少々ぶざまだが、小蘇姫という気取った可愛いい奴がいますよ。家はけちでも、洋酒は北京第一で、天津にもないようなものを備えています。酔っ払う覚悟でいらっしゃい。なあに、阿片に酔うよりは、よほど健康的ですよ。だが、
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