準2−92−25]のとがりが目立って怜悧そうであり、正面から見れば頬のふくらみが目立って柔和そうでありました。
「あんたは時おり、別々な二人のひとに見えますよ。」と荘夫人は微笑して秋雲の顔を眺めることがありました。
 その別々な二人のひとが、やがて、一人のひとにまとまって、新時代の若い女性を形造るようになりました。荘家の温良な雰囲気はまた新時代の自由性をも許容するものでありまして、荘太玄の高い学徳を山に譬えれば、その麓には、荘一清を中心にした新新文芸一派の若芽が自由に伸びだしていました。汪紹生は殆んど日曜毎にやって来ましたし、其の他の青年達が、時には女性も交えて、集ってきました。そしてそれらの人々に、柳秋雲も立交るようになり、遂には仲間の一人と数えられるようになりました。
 柳秋雲は新新文芸を愛読しながら、自分では一度も文章を書いたことがありませんでした。また、その思想的な論議に加わることもありませんでした。然し彼女の控え目な言葉は、いつも強い熱情の裏付けがあり、そして形象的でありましたので、この一派に不足がちな感覚的要素を加える働きをしました。彼女の言葉から示唆されたと覚しい文章も、幾つか拾い出すことが出来ました。例えば、散るためにのみ美しい蓮の花を讃美する者は誰ぞ、伸びそして拡がるために美しい蓮の巻葉の香を知る者は誰ぞ、という質問が提出されていました。槐の並木の白い小さな花が、はらはらと街路にまきちらす感傷主義を、土足で踏みにじり得る者は果して誰ぞ、という質問もありました。黄塵にまみれた古い洋車に、磨きすまされたランプがつけられている象徴を、理解する者は果して誰ぞ、という質問もありました。
 それらのことに最も敏感だったのは、汪紹生でありました。また、彼女が荘家を去って陳慧君の許に戻ってゆくことについて、大きな損失を内心に最も感じたのも、汪紹生でありました。彼は一篇の詩を書いて、頬をほてらしながら荘一清に見せました。それは、友情と恋情との間の微妙な一線上にある惜別の感情で、「……沈黙は、愛情を尊敬するからだ。」と結んでありました。
 彼女が去ってゆく前の日曜日の午後、三人は、広い庭園をゆっくり逍遙する時間を見出しました。その時、荘一清が汪紹生の詩をふいに披露しましたので、汪紹生も柳秋雲もへんに沈黙がちになりました。それで、荘一清が一人で何かと饒舌らねばならぬ立場
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