。それからびくりと肩を聳かして、押入の襖を開き、老人の死体を確かめた。そしていきなりアルコールを、襖や障子に振りかけて、そこへ火をつけた。蒼い焔がめらめらと広がるのを見定めて、彼は向うへ姿を隠した。
 三十分とたたないうちに火焔は一面に室を包んだ。それからその家を包んだ。家の棟が焼け落ちる頃になると、焼け壊れた押入の一枚の板を、火と灰との海の中の小舟のようにして、老人の死体は静に乗っかりながら、じりじりと焼かれていった。が、半焼のうちに消防夫の手から掘り出された。

 その幻影は、中井刑事の予想に反して、晋作や秋子にとっては、あらゆる妖怪変化よりも、更に恐ろしく更に不気味だった。
 彼等はその翌日、見当り次第の空家へ、一時の我慢だとして、すぐに引越してしまった。前の家のことを考えると、ぞっと冷水を浴びるような心地がした。そして、移転した汚い家の荷物の散らばった中に、ほっと腰を落付けながら、遠い幻影をなお頭に浮べて、何とも云えない表情で互に眼を見合った。その二人の顔付を、綾子と晋吉と清とが三方から、不思議そうに見比べた。
 が、少くとも此度の家は安心だった。



底本:「豊島与志雄著作
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