と綾子までが眠りから覚まされた。見ると、晋吉が其処につっ立っていた。没表情な顔で石のように固くなっていた。漸くにまた寝かしたが、物に憑かれたような眼を長く見開いていた。――影が無くなった夢をみたのだそうだった。自分の影がなくなって、何処に写しても出て来ないので、一生懸命にその影を探し廻ってると、急に恐くて堪らなくなったのだそうだった。
「影ばかりでなく、今に晋ちゃんご自分も呑まれてしまうわ。」
綾子が震えながらそんなことを云い出した。
ぞっとするような静けさだった。眠れないでいるうちに、柱時計が四時を打った。それから時計の振子の音が耳について、晋作は朝まで眠れなかった。
「俺まで何だか変だぞ。」
と気がついてみると、晋吉の夢が妙に気にかかった。女中部屋にいつも明るい電燈をつけ放しなのがいけないのじゃないかしら、とそんな馬鹿げた考えまで起った。然し明るい電燈をつけておいても、夜になると、清はその室を恐がって中にははいれなかった。秋子までが変に苛ら苛らしていた。
「とにかく、このままではいけない。どうにかしなくては……。」
彼は考えあぐんだ。
所へ、思いがけなく……実は心待ちにしていたのだが、中井刑事が訪れて来た。
その日曜の朝をぼんやりしていた晋作は、驚喜の余り飛び上って、自身で玄関まで出迎えた。
刑事の顔も、彼のに劣らず輝いていた。左の手先に軽くソフト帽を抱えて、足を心持ちふんばり加減につっ立ち、引緊めた浅黒い顔の皮膚の下には、晴々とした笑みが溢れていた。
二人は親しい挨拶を交わした。
然し、二階の座敷に通されると、俄に刑事は厳粛な態度に変った。半ば吸いさしの朝日を静に火鉢の灰にさして、一度に凡てのことを考えめぐらすような眼付をした。
「実は、あなたへお知らせすべきかどうか、少なからず迷ったのですが、怪しい噂を今迄平気でいられた所から考えて、申上げても別段騒がれることもないと思ったものですから、それにあの時のお頼みもありますし、定めしお待ちになってることと思ったものですから、旁々伺ったような次第です。然しこの話は秘密にして頂きたいものです。いずれ発表して差支えない時期が来ることと思いますが。まだ事件が予審中なものですから。」
晋作は意外の感に打たれて、身ずまいを正しながら、他言しないと誓った。
そして、刑事の話は更に意外だった。――あの板の、焦
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