。少しく受け口の下唇が、へんにたるんで、その右角が垂れさがり気味でした。じっと物を見る時には、左の眼が少しく持ちあがって細くなりました。それだけの特長ですが、その中に、女性的なやさしさとかふくよかさとか柔かさとか、そういうものを越えて、大袈裟に言えば白痴美とも言えるようなものが湛えられていました。この一種の白痴美が、彼女とお千代さんとを繋ぐ鍵でありまして、お千代さんは彼女のような女であったに違いないし、また彼女はお千代さんの再現ででもあろうかと、なんとなく、岸本省平にはそう思われるのでした。そしてまた、この焼け残りの人家の聚落と焼け跡の貧しい耕作地との中から、静かに立ち現われてくる女があるとしたら、それは彼女のような者であらねばならないし、他の種類の者であってはならないと、そのようにも思われるのでした。つまり、理知的な或は現代的な女ではなく、一種の白痴美を持っている彼女こそ、まさにその処を得てるのでした。
 岸本省平が彼女の方へ眼と心を惹かれはじめたのは、いつどこでだったか定かでありません。彼自ら気がついてみると、彼女を方々で見かけたようでした。町角や都電停留場や店先や焼け跡の木蔭でな
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