ゆきます。
 駒井さんはなかなか戻ってきません。何をしてるのでしょう。
 長い時間がたったようです。
 稲光りは遠のき、雨はいくらかやわらぎました。縁側に屈みこんでる正夫の着物は、かるく湿気をふくんでいます。
 駒井さんがはいってきて、不服そうに見向きもしない正夫の肩を、いきなり捉えました。
「ねえ、今晩、夜明かしして……遊びましょうよ。泊っていっても、いいんでしょう。お宅へ……中根のおばさまへ、お電話しといたわ。」
 正夫は、雨音も消えるようなしいんとした気持でした。
「さっき、度々電話がかかったでしょう、あの時、御主人はってきくから、分らないと答えて、どなたですかと、何度きいても、名前を云わないで、いきなり、ああ奥さんですか、奥さんですね、どうぞよろしく……そしてがちゃりと電話を切るんですよ。向うの声はちがってたけれど、いつも、奥さん……奥さん……て、いやに丁寧らしく、そしてがちゃりと切ってしまうんです。電話をかけてくるくらいの人なら、先生の奥さまが、葉山に転地なすってることくらい、知ってる筈だのに……。」そして言葉を切って、暫くして、呟くように云いました。「それに、どうせあたしは
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