ゆきます。
 駒井さんはなかなか戻ってきません。何をしてるのでしょう。
 長い時間がたったようです。
 稲光りは遠のき、雨はいくらかやわらぎました。縁側に屈みこんでる正夫の着物は、かるく湿気をふくんでいます。
 駒井さんがはいってきて、不服そうに見向きもしない正夫の肩を、いきなり捉えました。
「ねえ、今晩、夜明かしして……遊びましょうよ。泊っていっても、いいんでしょう。お宅へ……中根のおばさまへ、お電話しといたわ。」
 正夫は、雨音も消えるようなしいんとした気持でした。
「さっき、度々電話がかかったでしょう、あの時、御主人はってきくから、分らないと答えて、どなたですかと、何度きいても、名前を云わないで、いきなり、ああ奥さんですか、奥さんですね、どうぞよろしく……そしてがちゃりと電話を切るんですよ。向うの声はちがってたけれど、いつも、奥さん……奥さん……て、いやに丁寧らしく、そしてがちゃりと切ってしまうんです。電話をかけてくるくらいの人なら、先生の奥さまが、葉山に転地なすってることくらい、知ってる筈だのに……。」そして言葉を切って、暫くして、呟くように云いました。「それに、どうせあたしは、お嫁にやられるかも知れないわ。」
「お嫁にいってから奥さんになるんでしょう。」
 そう正夫は皮肉に云いました。なにかしら不服なんです。
「いいえ、ちがうのよ。両方の話、別々なんです。別々の話よ。だから……。」
 駒井さんはいろいろ話したいことがあるようです。それを、どう話してよいか分らないようです。そして正夫の肩を抱きしめる工合に、よりかかってきました。
 正夫は急に、駒井さんの胸に顔を伏せました。
「あたし、どこにもいきたくないのよ。」
 言葉がとぎれると、雨の音がしとしとと聞えてきました。
「あら、濡れてるわ。」
 駒井さんは正夫の背中をなでまわしました。駒井さんの着物だって、しっとりしています。
 何かちがいます、想像してた駒井さんと、ちがうんです。姉でもなく、恋人でもなく、母親では勿論なく、遠い冷い、頼りない人です。
 正夫は立上って、硝子戸を閉めました。

 十一時前頃だったでしょうか、正夫と駒井さんとは、へんに敵意を含んだように、つまらないトランプや花ガルタの遊びに熱中していました。そこへ、気にはしながら予期しなかったことですが、芝田さんが帰って来ました。なおびっくりした
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