初め彼の強情を笑っていた人も、やがてそれを驚歎し初めた。野田の旦那も幾度か、他の村人と合同してはと勧めてみた。然し平助は一人でやると云い張った。彼の仕事はもう彼|独自《ひとり》の生活となっていた。
「地所は旦那のものでも、仕事はおらがものだ。」
 そして彼は殆んど一日も休まなかった。朝早くから元気よく鍬と鶴嘴とをかついでやって来た。そして寺の入相《いりあい》の鐘が鳴るまでは戻って行かなかった。音吉が出奔してから変った点は、日に焼けた額の皺が目立って深くなったことと、口元に何となく粗暴な影が漂ってきたこととだけだった。
 街道には時々遍路者の姿が見えた。大抵二三人連れ立って、互に話をするでもなく傍見もしないで、路の埃を軽く立てながら通り過ぎていった。平助はいつも、その後姿を見えなくなるまで見送った。然し村人の誰彼が時折り通りかかるのに対しては、彼は余り愛相がよくなかった。
「精がでるなあ。」
 そういう挨拶に対して、彼はただ「ああ」と気の無い返辞をして、すぐに向うを向いてしまった。
 然しその頃から、平助はよく孫娘のおみつ[#「みつ」に傍点]を荒地へ来さした。
 おみつ[#「みつ」に傍点]はもう隣村の小学校に通っていた。夏休みの間中は、庄吉の家へ生れっ児の子守にいっていたが、九月に学校が始まってからは、午後はすっかり隙だった。学校から帰って来ると、誰もいない開け放しの自分の家に飛び込んで、一人で勝手に食事をして、その朝おかね[#「かね」に傍点]が拵えておいた弁当と渋茶の土瓶とを、平助の所へ持って来た。平助は自分で弁当を持って出ないで、おみつ[#「みつ」に傍点]がそれを届けてくれるのを楽しみにした。そして夕方まで彼女を荒地に引止めておくことが多かった。
 野田の旦那の長男の健太郎が、都の専門学校から夏の休暇に帰省した時、おみつ[#「みつ」に傍点]は綺麗な麦稈帽子を貰った。平助はそれを大事にしまっておいて、彼女が学校に行く時も被らせなかった。が不意にそれを取出して、弁当を届ける時には被って来いと云いつけた。着物も顔も手足も黒く汚れているのに対して、その新らしい麦稈帽子だけが、黄色がかった白色にぱっと冴えていた。
 荒地の中には、白や赤や黄の小さな花が方々に咲いていた。稲田の畔道には、紫雲英《れんげそう》の返り咲きもあった。小川の中や稲田の水口には、小さな魚が群れていた。お
前へ 次へ
全13ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング