痴呆なのでしょうか。
 それもよかろう、と彼は考えました。そして今や、明子にも返事が書ける気がしましたし、正子にも手紙が書ける気がしました。と共に、そんなことは凡て無意義だという気がしました。亮助から受けた二つの拳固の方が、もっと意味があったかも知れませんでした。
 直吉は瞑想からさめると、眉をあげて、高窓にさしてる月の光を仰ぎ見ました。そして自分の席に戻って、先ず辞職願を認めました。それから田舎の兄へ手紙を書き、自分の火傷の跡のことなどこまごまと描き、田舎に身を落着ける意向を述べました。田舎に帰農することは、彼にとっては、精神的なあらゆる浪費や玩弄を去って、土地そのものに還ることでありました。そして彼は、自分を愚昧だと考え、しかも安らかな微笑を浮べました。



底本:「豊島与志雄著作集 第四巻(小説4[#「4」はローマ数字、1−13−24])」未来社
   1965(昭和40)年6月25日第1刷発行
初出:「不明」
   1947(昭和22)年12月
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2008年1月16日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空
前へ 次へ
全23ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング