ど、亮助の言葉は整然としていました。まるで文章でも暗誦してるような調子でした。冷静に考えてか、或は激昂の熱に浮かされてか、とにかく幾度も心のうちで練り直されたもので、そしてそのために却って、生きた脈搏[#「脈搏」は底本では「脈博」]を失ってるもののようでした。直吉はただ呆然として、別に大した衝撃も受けず、弁解する気にさえなりませんでした。
彼は静かに言いました。
「外にまだ何かおありでしょうか。」
「それだけです。」と言って亮助は直吉を見つめました。
「そんなら、すべてあなたの誤解ですし、ばかばかしい話です。いずれお分りになるだろうと思いますが……。」
言いかけて直吉は立ち上りました。
亮助もつっ立ちました。
「ばかばかしい話とはなんです。妹はそのために毒をのんだのに、君は……。」
言葉をつまらせて震えてる彼を、直吉はじっと見やりました。反撥とか敵意とかそういう気持ちではなく、なにか下らない忌々しいものにぶっつかった気持ちで、それが、あかんべえの眼玉を更に大きくむき出させるようなのを意識しながら、へんにじっと見やりました。そしてその視線をむりにもぎ離そうとした瞬間、相手の亮助は躍りあがったようで、その右手の拳が、直吉の頬へ飛んできました。音とも光ともつかないものを直吉は火傷の跡に感じ、次にも一つ、更に強烈なのを受けて、よろめいて膝をつきました。そしてちょっと眼をつぶりました。
亮助は直吉の様子を見守り、それからくるりと背を向けて、立ち去りました。
その夜更け、笠井直吉は薄暗い郵便局の片隅で、額をかかえて瞑想に沈みました。深い淵の中での瞑想にも似ていました。
彼は宿直の日で、そして後徹《こうてつ》に当っていました。他の二人の仲間が彼方でのろのろと仕事をしていました。彼はいい加減に仕事を片づけ、窓際に退いて、瞑想の淵に沈みました。半欠けの月の淡い光りが、高い窓硝子にぼーっとさしていました。
すべてがばかばかしくて、田中亮助に弁解する気にさえなれなかった、あの気持ちが、更に大きく深く彼を取り巻きました。そしてその中に、自分の火傷の跡、ひきつった皮膚や、ちぢれた耳や、赤光りの禿げや、殊にあかんべえの大きな眼が、まざまざと浮き上ってきました。それは正子が言ったように、生れながらのものではありませんでした。然し、彼女のようにそのことだけに安んずることは出来ませ
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