大倹約をしなければならないと、冗談のように女中達へ云いながら、心ではびくびくしながら、私はその晩すぐに荷物を運び移して貰った。そして一通りざっと片付けておいて、それでももう十二時近くなって、狭苦しい思いで床にはいった。眼が冴えて眠れなかった。どうしても落付けなかった。誰も知らないが、また知っていても知らない顔をしてるが、あの室にだってあんな恐ろしいことがあったとすれば、この室にだってどんなことがあったかも知れない……などと考えてくると、益々眼が冴えていった。
そして私は、またいろんな幻を見た。嘗てこの室で起ったろうさまざまなことが、次から次へと現われてきた。貧しい肺病やみの学生が、血反吐《ちへど》をはいてのたうち廻っていた。酒に酔った不良性の男が、美しい女中を引張り込んで獣慾を遂げていた。凶器を手にした盗人が、窓の戸をこじあけて覗き込んでいた。其他さまざまの人の姿が、湿気を帯びた黴臭い室の空気の中に、茫とした気配に浮出して、四方から私の方を覗き込んでき、私の身体にとっつこうとする。私は首と手足とを縮こめて、蒲団の中に円くなり、もう寝返りをするのも恐ろしくて、じっと夜明けを待ちながら、
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