に見渡された。私は吃驚して、その気持がまだ静まらないままに足を早めて、下宿の玄関に飛び込むと、途端に、真正面の大時計が、一つぼーんと半時を打った。そのままで、女中一人出迎えず、いつものお上《かみ》さんの顔も見えず、家の中は空家のようにがらんとしていた。変だなと思って佇んだ時、先刻の男の姿がいつのまにか、恐らく擦れ違った時からであろう、私にぴったりとくっついてるのが感じられた。私はぶるっと身震いをして、自分の室に駆け上った。
 そのことが、昼間だけに一層私の気にかかった。昼間から彼奴が玄関まで飛び込んでくる以上は、夜になったらどんなことになるか分らないと、私はもうすっかり慴えきって、それからはなるべく自分の室に閉じ籠ることにした。気のせいだの空気の流れだのと、そんな理屈では安心がなりかねた。後からついてくる気配だけならまだよいが、いろんな姿が影のように四方に浮き出して、私の方へ飛びついてくるのは、どう考えても合点がゆかなかった。私自身の気のせいではなく、そういう煙のような奴等が、そこいらにふらふらと存在してるに違いなかった。
 私は室の中に閉じ籠って、これからどうしたらよいかしらと、夢の
前へ 次へ
全23ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング