活の萎微沈滞は、その生活に一の方向とか目的とかがない所から、最も多く原因している。方向や目的のない生活には、発展がない。発展のない生活は、機械的な繰返しに過ぎなくなる。もはやそれは生活ではない。生活とか活力とかいう言葉は、機械的な繰返しと全然相反するもので、それ自身一の発展を含有してるものである。
彼女等の生活が一の方向――目的――を得るためには、彼女等が良人に従属もしくは隷属して生きるのではなくて、良人と共に生きなければいけない。共に生きるとは、一緒に仕事をし一緒に思考してるという意識を失わないことを指す。現在の中流の婦人で、良人が如何なる仕事をし如何なることを考えてるか、それを本当に知ってる者は極めて少い。
巷説伝うる所に依れば、昔板倉伊賀守が京都所司代に任ぜられる時、自分の仕事には一切口出しをしないと奥方に誓わしてから、初めて安心してその役に就いたという。それを一世の亀鑑として賞せられる伝統が、未だになお残っている世の中である。男の方もよくないが、女の方もよくない。
勿論、女が男と共に仕事をし共に思考するというまでには、女の人間的な進歩を俟ってでなければ不可能である。然し女は直接その衝に当るのではない。それだけの意識を失わない生活をすればよい。家政や育児の仕事が如何に労多いものであるかを、私は知らないではないが、また私は、中流の婦人に右の意識を持つだけの余裕があることをも、知らないではない。
良人と共に仕事をし共に思考してるという意識を持つとき、そして実際にそういう生き方をする時、女の家庭生活にも初めて、一定の方向――目的――が生じてくる。広々とした眼界が開けてくる。精神的に窒息しないだけの、充分の空気と光とがさし込んでくる。そして生活に張りと力とが生じてくる。張りのある力強い生活さえしていれば、吾が中流の婦人にとっては、家政や育児の業は比較的容易になし遂げられて、なお余裕綽々たるものがあるだろう。
底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2005年12月7日作成
青空文庫作成ファイル:
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