る。
 単に身体のみではない。精神的にも彼女等は萎微しきっている。娘時代の奔放な幻想が、結婚後の狭苦しい生活のために窒息してしまって、而もそれに代るべき何物も生じてはいない。其処にはただ空しい場所が残される。そしてその空しい場所に、日々のなまぬるい生活の滓が堆く積ってくる。稀には自由なのびのびとした気息が、その下から燃え出すことはあっても、すぐにぷすぷすとくすぶって、秩序とか経験とかいうものの重みの下に、押しつぶされ消し止められてしまう。書物を読もうとしても、読む隙がない――否、隙はあってもそれを利用することが出来ないし、また読むだけの気力もない。
 斯くして彼女等は、肉体的にも精神的にも、次第に活力を失ってくる。機械的な繰返しの生を営んで、その中に淫し溺れて、その日その日の安穏無事から、一歩も外に出ようとはしない。自由なのびのびとした気魄は、その影だに止めない。そして彼女等の幸福は、良人から月々与えられる金額とか、子供達の健康とか、良人の品行とか、女中の人柄とか、そんな風なつまらない事柄にばかり懸っている。そのうちに年老いてしまうのだ。
 勿論私は、凡ての中流婦人がそうだというのではない。多少の例外を除いた残りの全部が、現在ではそうだというのである。
 これを救うにはどうしたらよいか?
 現在の経済的組織や社会的組織や政治的組織や家庭的組織を改変することは、その最も根本的なものであろう。然しこれには多大の年月と犠牲とを要する。そして時代は――人間全体は――その方へ歩みを進めている。
 先ずそれまでのうちに、直接現在にどうしたらよいか?
 生活を改善し簡易にすることも、その一であろう。家庭を食堂と寝室とだけにするのも面白いかも知れない。
 産児を制限することも、その一であろう。一度に所要の子供数を拵えるとか、一定の期間に一人ずつ拵えるとか、そんな風な規則も面白いかも知れない。
 生活に高尚な趣味を漲らすのも、その一であろう。家庭を美術館や音楽堂や動物園など、そんな風なものにしてしまうのも面白いかもしれない。
 婦人デーと云ったようなものを作って、男が留守をして女が必ず出歩くというようにしてもよいだろう。凡ての主婦達が一斉に羽を拡げて飛び廻ったら、天下の奇観で面白いかも知れない。
 然し何よりも、彼女等の生活に一定の方向――目的――を与えることが必要である。彼女等の生
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