いものだったというだけで、取り止めもない断片的なもののようでもありましたし、筋の通った連続したもののようでもありました。それは大きな空虚の中の飛翔でした。大空を飛行機で飛ぶのにも似ていて、ただその航空が心の深淵のなかで行なわれたとでも言うべきでしょうか。
その瞑想からさめると、もう酒の酔いもほぼさめていましたし、服も乾きかけていました。元彦はなにか皮肉な微笑を浮べ、次で晴れやかな笑顔になりました。そして落着いた足取りで家の方へ戻ってゆきました。
正木の籬の柔かな葉を一枚さぐり取って、彼は笛を吹きました。家の土間にはいると、その葉を捨てて、ちょっと立ち止りました。
そこの、長火鉢のそば、電燈の明るみの中に、女たちが寄り集っていました。母は背をかがめて、火鉢の火に見入っていました。八重子はりりしく顔を引きしめて、宙に眼をやっていました。加代子はハンカチを顔にあてて、泣いていました。重兵衛のところの婆さんが、三人をかわるがわる見比べるようにして、ひそやかに何か話していました。
それが、元彦には、初めて見出した珍しい情景とも感ぜられました。母の様子もいつもと違い、八重子の様子も平素に似つかず、加代子の様子も普通のことでなくそして婆さんが大きな地位を占めていました。
元彦は[#「 元彦は」は底本では「元彦は」]立ち止ったまま眼を見張りました。そして晴れやかににっこりしました。けれどそれとは別に、なにか胸迫る思いがあって、口は利けませんでした。
八重子が異様な声を立てました。その声で、彼女たちは元彦に気付きました。皆の眼がじっと元彦に注がれました。それらの視線のなかに、元彦は黙って進み出で、靴をぬいで室にあがりました。そしてまだ立ったまま、彼女たちの一人一人にすべてを肯定するような頷き方をしてみせました。
底本:「豊島与志雄著作集 第四巻(小説4[#「4」はローマ数字、1−13−24])」未来社
1965(昭和40)年6月25日第1刷発行
初出:「潮流」
1946(昭和21)年4月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2008年1月16日作成
青空文庫作成ファイル:
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