面目なことを考えてるんだ。この河に、昔から今まで、幾人の人間が溺れ死んだか、そしてこれから、幾人の人間が溺れ死ぬだろうかと、真面目に考えてるんだ。なあ重兵衛さん、たくさん溺れたろうね。」
「さあ、どんなもんだか。」
重兵衛爺さんは気のない返事で、もう渡し舟の綱を解き初めていました。
満々たる水が、夜目にも仄白く、ゆったりと流れていました。一同が乗りこむと舟はすぐに出ました。
元彦は外套をぬぎました。そして、赤いコートの下に臙脂の矢羽根の着物の襟をかき合せている加代子の、ほっそりした肩に、それを着せかけてやりました。
「俺の最後の親切だと思えよ。」
だが、その最後というのが、どうやら別な物を指してるようでした。彼は嬉しそうに微笑しながら、服の脇ポケットから、四合瓶を一つ取り出しました。八分目ほど焼酎がはいっていました。他方のポケットからは、大きな盃が二つ出てきました。
「重兵衛さんも少し休んで、さあやりなさい。」
河の流れは極めてゆるやかでした。重兵衛爺さんも元彦にひき入れられて、焼酎の盃を手にしました。元彦は二三杯飲み干すと櫓を取って、川上へと舟を向けました。少し漕ぎ上っておけば、あとは流れのままです。重兵衛爺さんは馬の溺れたことを話していました。
「……泳げるくせに、慌てたもんだから、水ん中に頭を突っこんでさ、もうそれっきりよ。手綱でもって、頭を水の上に引きあげてくれる者が、いないとなりゃあ、自分で頭をあげるだけのことだ。それを忘れたもんだから、あのでかい頭が、下へばかり沈んでゆく。馬のうちにも、泳ぎを知ってるのと、知らないのと、二通りあるらしいよ。」
加代子は眉をひそめてそれを聞いていました。中村佳吉は興がって話の相手になっていました。元彦はもう周囲のことに何の関心もなく、じっと河の面を眺めやっていました。
――丁度、このような彎曲部であった。ぼんやりした闇夜だった。中程まで進出すると、対岸にぱっと閃光が起った。閃光は数を増して、弾丸が上空を飛んだ。その時、迂濶にも、こちらから二三発応射した卑怯者があった。対岸には一時に閃光が連った。ヒュンヒュンと頭上を掠め飛ぶ弾丸は、まもなく、シュッシュッと身近かに迫り、水煙りを立てるようになった。やがて、大きい奴が上空からも落ちてきた。シュルシュルッという不気味な音は、場所の見当がつかなかった。その一つが、頭上
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