が旦那は偉いや。お前も偉いや。俺もな、今じゃ飲んだくれだが、これで旦那のためには随分働いたもんだ。」
「よく旦那様は父さんのことを云っていられるよ。そして僕にも大変よくして下さるんだ。しっかり勉強しなけりゃいけないってよく云って下さるんだよ。」
「そうだ、若い時に勉強しなけりゃいけねえ。お前を奉公に上げる時に、屹度良助は立派な人間に育ててやると旦那は仰言ったんだ。それから俺が家に帰る時にな、もう俥夫は抱えないからこれはお前にやるってんで、俥を貰って来たんだ。素敵なものだったぜ。売り飛したら二十両だ。……何だろう、今じゃ旦那は毎日電車で店に通ってるんだろうな。」
「ああ電車だよ。」
「そうだねえ……。」徳蔵はそう云いかけたが急に口を噤んでしまった。そして何やら考え込んでいるらしかった。
みよ[#「みよ」に傍点]子が重そうにして徳利を抱え※[#「魚+昜」、164−上−8]を下げて帰って来ると、徳蔵は急は眼を輝かした。
「どれ。」そう云って彼は立ち上った。それから自分で火鉢の火をかき立てて※[#「魚+昜」、164−上−11]をあぶった。
「早く七輪で酒の燗をしな。」と彼はみよ[#「みよ」に傍点]子に怒鳴った。
然し徳蔵はすぐにまた燗をするのを止めさした。そして冷酒のままそれを餉台の上に置いた。
「お前は、」と彼は良助の方へ向いて云った、「学校があるんだったな。ゆっくりしちゃいけねえんだろう。いいから早く此処へ来な。これは祝いの酒だ。特待生になったんだね。一杯飲むがいい。景気をつけなくちゃいけねえ。さあ一杯飲みなったら……。」
「僕は酒は飲めないんだよ。」と良助は答えた。
「なに飲めない?……ああそうか。学校へ行ってるうちは飲まないがいいや。脳に悪いんだな。では※[#「魚+昜」、164−上−21]でも食うがいい。※[#「魚+昜」、164−上−21]は目出度え肴なんだ。おいみよ[#「みよ」に傍点]、お前も食えよ。」
良助はそれで※[#「魚+昜」、164−上−23]をつまんだ。徳蔵は、冷酒を貪るようにして飲んだ。
やがて良助は云い出した。
「父さんは毎晩酒を飲むのかい。」
「馬鹿なことを云っちゃいけねえ。飲みてえのは毎晩飲みてえんだが、誰も飲ましてくれねえやね。」
「でもよく飲むんだろう。」
「当り前だ。酒も飲めなくなったら世の中はおしまいだ。」
「だが旦那様もそう云っ
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