天狗笑
豊島与志雄
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)ある山裾《やますそ》に
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一
むかし、ある山裾《やますそ》に、小さな村がありました。村のうしろは、大きな森から山になっていまして、前は、広い平野にうつくしい小川が流れていました。村の人たちは、平野をひらいて穀物《こくもつ》や野菜を作ったり、野原に牛や馬を飼ったりして、たのしく平和にくらしていました。
村の人たちは皆仲よしでした。それで、子供たちも皆お友だちでした。大人《おとな》たちがたんぼや牧場で働いている間、子供たちは一しょにあつまって仲よく遊びました。
ある夏の初め、子供たちはいつものように、一しょにあつまって、村のうしろの森のはずれの原っぱで、土盛《つちも》りをしたり輪投げをしたりして遊んでいましたが、それにもあきてくると、近頃はやりだしたにらめっこを始めました。それは遠くの町からつたわってきた遊びで、これまでまだ村には知られてなかったのです。新しい遊びなだけに、子供たちは非常におもしろがりました。
「にらめっこしようか」
「しよう」
原っぱの中にみんなは円《まる》く輪をつくって坐りました。そして一しょにいいました。
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だるまさん、だるまさん、
にらめっこしましょう、
わらうとぬかす、
一二三……うむ。
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うむ……ときばって、息をつめて、両手を膝《ひざ》について、眼を見張って、おかしな顔つきをしながら、ほかの者を笑わそうとするのです。初めにぷーっとふきだした者は、すぐぬかされて、また「だるまさん」が始まります。そして一番おしまいまで残った者が勝ちなのです。
子供たちはそれを何度もくり返しました。
いく度目かにまたみんなで、「だるまさん、だるまさん」をやりだした時です。ふいに、頭の上で、空のまん中で、わはははははと大きな笑い声がしました。
おや……と思って、息をつめたままで、上を見上げますと、森の上からぬーっと大きな顔がのぞき出して、それが空いっぱいの大きさになって、家のような大きな眼と鼻と口とで、わはははははと笑っています。とすぐに、その顔も笑い声も消えてしまって、日の光のきらきらしてる青い空ばかりになってしまいました。
「何だろう」
みんなびっくりして、それからふと恐くなって、村の中へ逃げかえりました。
二
そういうことが時々おこりました。うっかり「だるまさんのにらめっこ」をしてると、空いっぱいの大きな顔が頭の上で大きな声で笑うのです。びっくりして見上げると、そのとたんに顔も笑い声も消えてしまうのです。
初め子供たちはそれを恐がりましたが、だんだん馴《な》れてくると、かえっておもしろくなってきました。顔が出て来ないと、何だかさびしいような気さえしました。
「今日はきっとあの顔が出て来るよ」
「出て来るかしら」
「出て来るとも。出て来るまでやろうや」
そしてみんなで、村のうしろの森はずれの野原にあつまって、円《まる》く輪になって坐りながら、「だるまさんのにらめっこ」を始めました。が何度やっても、空いっぱいの大きな顔が出て来ませんでした。みんなは意地《いじ》っぱりになってなおやりつづけました。
するうちに、いつのまにどこから来たのか、見馴《みな》れない子供が一人、横の方につっ立って、にこにこしながらみんなの遊びを見ています。
みんなはふしぎに思って、その子供を取りまきました。穀物《こくもつ》や野菜や牛や馬を買いに来る商人の外は、めったに人がよそから来たことのない、へんぴな村なんです。それなのに、ひょっこり子供が一人出て来たのです。
「君は誰だい」
「どこから来たんだい」
「何しに来たんだい」
「一人で来たのかい」
そんなふうに、みんなはかわるがわるたずねました。けれどその見馴《みな》れない子供は、何にも答えないで、ただにこにこ笑っているばかりでした。そしてやがて、ふいにいい出しました。
「僕もにらめっこにいれてくれないか」
「ああいいとも」
みんなは喜びました。そして見馴れない子供と一しょに、また「だるまさん」を始めました。
ところが、その見馴れない子供が強いのなんのって、どんなおかしな顔をしても笑わないんです。二十人いたものが、一人ぬかされ二人ぬかされして、しまいには、一番強いので、「鬼瓦《おにがわら》」とみんなからあだなされている子供と、見馴れない子供との、二人っきりになりました。
「鬼瓦しっかりやれよ」
「初めて来たものに負けるな」
村の子供たちはそういって、わいわいはやしたてながら、二人のまわりを取りかこみました。二人はきちんと坐って、膝《ひざ》の上に両手を握りしめて、身がまえをしました。
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だるまさん、だるまさん、
にらめっこしましょう、
わらうとぬかす、
一二三……うむ。
[#ここで字下げ終わり]
まわりのものまでみんな息をつめました。二人はじっとにらめっこをして、どちらも笑い出しません。「鬼瓦《おにがわら》」はほんとに鬼瓦のような顔つきをしてみせましたが、見馴《みな》れない子供はびくともしませんでした。そしてるうちに、ふいに見馴れない子供の鼻がぴくぴく動き出しました。が、「鬼瓦」の方も笑い出しません。するとこんどは、ぴくぴく動き出した鼻が、ぬーっと長く伸びだしました。見ていたものはびっくりしました。が、「鬼瓦」はまだ笑い出しません。するとこんどは、長く伸び出た鼻が、「鬼瓦」の鼻先までやってきて、ゆらゆらふらふらとおかしな恰好《かっこう》で踊りだしました。
とうとうたまらなくなって、「鬼瓦」はぷーっとふきだしました。みんなはわっとはやし立てました。がふしぎなことには、見馴れない子供の鼻は、勝つが早いかすっと引っ込んで、もとの通りになってしまいました。
「ずるいや、ずるいや。鼻をあんなに伸ばすなんて、ずるいや」
「鬼瓦」はそういってつめ寄ってきました。みんなもそれに味方しました。
「鼻を伸ばしといて踊らせるのはずるい」
見馴れない子供は、ただにこにこ笑っていましたが、みんなからずるいずるいとあまりいわれますと、それじゃも一度やり直そうといいました。みんなも賛成しました。
「やり直そう、初めから……。鼻を伸ばすのはなしだよ」
そしてまたみんなは一しょに、「だるまさん、だるまさん」を始めました。ところが、最初に笑い出したものから順々に一人ぬけ二人ぬけしてるうちに、いつのまにか、見馴《みな》れない子供の姿が消えてしまったのです。
「おや、あの子供はどこへいったろう」
「いない。消えちゃった」
みんなはきょとんとしてしまいました。いくら探してもどこにも見えません。
「わははははは……」
頭の上で笑い声がしましたので、見上げてみると、空いっぱいの大きな顔が笑っています。かと思うまに、すぐに消えてしまって、青々とうち晴れた大空ばかりになりました。
みんなはぼんやり空を見上げていましたが、次にはおかしくなって、くくくくっと、それからあはははっと、声をそろえて笑いだしました。
三
子供たちはおもしろがって、その話を村の大人《おとな》たちにしました。大人たちの方では、そんなことがあるものかと思って、初めは本当にしませんでしたが、子供たちが皆本当だといいますし、見馴《みな》れない子供が出て消えたことなどを聞くと、そのままうっちゃってもおかれないと思い始めました。なぜなら、それを悪い鬼《おに》のせいだと考えたのです。
「それは悪い鬼にちがいない。悪い鬼がやって来て、子供をさらってゆくつもりで、初めはまずそんなふうに、子供をだまかしてるんだ」
「そんなことはないよ。もし鬼だったら、おもしろい鬼だよ」
そう子供たちはいい張りましたが、大人たちはききませんでした。そして鬼退治《おにたいじ》を始めることに相談をきめました。
子供たちは悲しくなりました。けれど、大人たちがむりにいうものですから、仕方《しかた》なしに例のところへ行って、「だるまさん」を始めました。
大人たちは、そうして子供たちを遊ばしといて、自分たちの方は、まだ鉄砲のない頃でしたから、弓や石投機械《いしなげきかい》や刀や棒など、てんでに何か武器を持って、森の木の陰や村の家の陰なんかに隠れて、今に鬼が出て来たら、打ち殺すかしばりあげるかしてやろうと、じっと待ちかまえました。
子供たちは、いやでいやでたまりませんでした。あんなおもしろい鬼を悪い鬼だなどと言って大人たちがそれを待ち伏《ぶ》せしているのが、気になってしようがありませんでした。それでも大人《おとな》たちのいいつけですから、どうすることも出来ないで、心ならずもにらめっこをしました。だけど、もう笑うものなんかあまりなくて、長くにらめっこをしていると、笑うかわりに泣き出すものさえありました。
するうちに、だんだん子供たちはやけになってきました。みんな立ち上がって、輪になってぐるぐる廻りながら、大声にどなりました。
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だるまさん、だるまさん、
にらめっこしましょう、
わらうとぬかす、
一二三……うむ。
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うむ……と気張《きば》って、立ち止まってにらめっこをします。が誰も笑い出すものがありません。でまたぐるぐる踊り廻って、「だるまさん、だるまさん」をくり返します。そのちょうしが次第《しだい》に早くなって、もう踊りっこをしているのか、にらめっこをしているのかわからなくなって、夢中にぐるぐる廻りました。
と、突然、わはははははと大きな笑い声がしました。はっと思って見上げると、空いっぱいの大きな顔が笑っています。かと思うまに消えてしまって、しいんとなりました。とこんどは、はははははと大ぜいの笑い声が聞こえました。
大人《おとな》たちが武器を手にしたまま、ぼんやり空を見上げて、声を揃《そろ》えて笑っているのです。
大人たちは初め、その空いっぱいの顔の鬼《おに》を退治《たいじ》するつもりでしたが、子供たちのにらめっこや踊りっこがあまりおもしろいので、それに気をとられているうちに、いきなり空いっぱいの顔が出て来て大笑いをし、すぐに消えていって、まっさおな大空とうつくしい日の光とだけになってしまったものですから、ぽかーんとして、思わず笑ってしまったのです。
それを見ると、子供たちもわーっと笑い出しました。
その後、空で笑うのはきっと天狗《てんぐ》だろうと誰かがいい出しました。そしてそれを天狗笑《てんぐわらい》と皆はいうようになりました。夏の晴れた日なんか、野原に出て、「だるまさん、だるまさん」をやりながら、日の光のぎらぎらした青い空を見てると、空いっぱいの大きな顔でわはははははと、天狗笑がすることがあるそうです。
底本:「豊島与志雄童話集」海鳥社
1990(平成2)年11月27日第1刷発行
入力:kompass
校正:門田裕志、小林繁雄
2006年4月29日作成
青空文庫作成ファイル:
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