、二月の末に近づくにつれて、馬の腹がだんだん大きくなってきました。甚兵衛はびっくりして、その大きな腹を撫《な》でてやったり、馬の病気に利《き》くという山奥の隈笹《くまざさ》を食べさせたりしましたが、何のかいもありませんでした。仲間の馬方達《うまかたたち》に見せても、どうしたのか誰にもわかりませんでした。甚兵衛は大層《たいそう》心配しましたが、どうにも仕方《しかた》ありません。これはきっと腹の中の悪魔《あくま》の仕業《しわざ》だろうとは思いましたが、二月の末までと約束したのですから、今更《いまさら》取返しはつきませんでした。それに、馬はただ腹が大きくなったばかりで、体にも元気にも少しも衰《おとろ》えは見えませんでした。
「まあいいや、二月の末まで待ってみよう。害《がい》はしないとあいつは約束したんだから、たいてい大丈夫《だいじょうぶ》だろう」
 そして甚兵衛は、二月の末になるのを待ち焦《こ》がれました。馬は相変わらず元気で、毎日材木の荷車をひきました。

      三

 いよいよ二月の末になりますと、甚兵衛《じんべえ》はほっと安心して、その日一日馬を休ませ、せっかくのことだから今晩まで悪魔《あくま》に宿を貸そうと思って、そのまま馬を小屋につないでおき、うまいごちそうを食べさして、自分は早くから寝てしまいました。
 するとその翌日、三月一日の夜明け頃、馬小屋で馬がひどく暴れてる音がしたので、甚兵衛はびっくりして起き上がりました。行ってみますと、馬は歯をくいしばって、時々苦しそうに跳ね廻っています。いくらそれを静めようとしても、どうしても静まりません。甚兵衛は訳がわからなくて、まごまごするばかりでした。
「甚兵衛さん、甚兵衛さん」
 どこからか自分を呼ぶかすかな声がしましたので、甚兵衛はびっくりしてあたりを見廻しましたが、誰もいませんでした。するとまたどこからか、かすかな声がしました。
「甚兵衛さん、甚兵衛さん」
 その声がどうやら、馬の口から出てくるようでしたから、甚兵衛は馬の口に耳をあててみました。
「甚兵衛さん、甚兵衛さん」
 その声で甚兵衛は急に思い出しました。
「やあ、お前は悪魔の子だな。何だってまだ馬の腹の中にまごまごしてるんだい。もう三月一日だぜ。約束の期限はきれたから、早く出て来いよ」
 すると馬の口の奥から、悪魔《あくま》の子が言いました。
「実は困
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