なければ、男が女を突落すんでもなければ、二人で飛込むんでもなかった。ぴったりくっついたまま、そこに屈みこんでしまって、それきり動かなかった。
 変に俺の気持は平らでなかった。なあーんだ、と思っても、やはり気にかかった。俺は長い間その方を窺っていた。が屈みこんで一つになってる二人の影は、いつまでたっても身動きもしなかった。
 しまいに俺は根気負けがして、柱の影から出て歩き出した。時々振返ってみたが、遠くにぽつりとしてる黒い姿は、やはりそのままで、もう二人の人間とも思えなかった。
 言問橋の上に出ると、急に寒くなった。マントがほしいなと思った。だが俺はその橋が好きだ。両側に欄干があるきりで、橋の上は広々としていて、がさつな鉄骨の組合せも何もなく、すぐ大空が感ぜられる。
 俺は橋の上に佇んで、川の水を、水にうつってる灯を、左手の明るい街を眺めた。それから、ただ電燈がぽつりぽつりついてるだけで、低く黒ずんでる右手の方、河岸伝いの新道を眼で辿った。川霧の交った夜の靄がかけていて、遠くはぼーっとしていた。まだ川の縁に蹲ってる筈の男と女の姿も、靄の中に弱れて見分けられなかった。
 そんなことのために
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