に接吻しちゃいけないよ。病気なんか、接吻が一番あぶないから。」
「分ってるわ。ただ一人っきりよ。」
 そして私達はまた長い隔てない抱擁をした。
 私の膝の上に、私の腕の中に、惜しげもなく投げ出されてる彼女の肉体は、軟骨質の水母《くらげ》――もしそういうものがあれば――それのようだった。赤い錦紗《きんしゃ》の着物の下に、不随意筋の運動めいた、柔かな中に円いくりくりした動きを持っていた。そして私の眼の前に、すぐ睫毛《まつげ》が届きそうなところに、彼女の頸筋の真白な細《こま》かな皮膚が、平らに、広く、無限に伸び拡がって、温い雪――というものがあれば――それに蔽われた大地の肌のように、静に無際限に波動し初める。それが私を溺らしてゆく……。私は息苦しくなって、非常な努力で目玉を一回転させる。格恰のいい耳朶の端が、黒髪の下にふっくらと覗いている。私はそれにつかまる。――彼女の耳はごく柔かだった。
 私は立上りかけると、彼女は無理に縋りついてきた。殆んど気品を帯びてるとさえ云えるほどの張りのある表情で、幾度も頭を振った。
「いや、いやよ。帰さない。」
「だって、困るじゃないか。僕にだって用もあるし…
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