がない。もう嫌だ。あの人がかりに一度に二十円使うとして、あたしのものになるのはその四分の八円、そのうちからまたいろんなものが差引かれる。その二十円をそっくり貰ったら、月に三度か四度でもいいから、こんな商売もせずに、一日ゆっくりあの人の側についておられる……。
その時、あたしはふとあの人の言葉を思い出した。僕は君の一生のことを考えているんだ、今のことじゃない、お婆さんになった先のことまで考えているんだ……。あたしは眼をつぶった。真暗なものが見えてくる……。石塔の代を盲目《めくら》の兄のところへ返して、それから、一生だって……。どこまでも、はてもなく、真暗な闇が続いてるようだった。あたしは笑ってやりたかった、が笑えなかった。泣いてやりたかった、が泣けなかった。歯のぬけたあとに冷い風が吹きこんだ。
長くたってから、あたしはそっと階下《した》の台所におりていった。戸棚の中を探して、冷い酒をコップで二三杯飲んだ。
それから、どうしたのか、あたしは眠ってる男をゆすり起していた。
「あたしが起きてるのに、眠るって法があるの。土竜《もぐらもち》みたいに、布団の中に頭からもぐりこんでさ……。お起きなさいったら。起きて頂戴よ。」
ふりの若いお客だった。なまっ白い額に柔い髪の毛が垂れかかっていた。それをかき上げながら、むっくり起き上って、あたしの方を頓狂な眼付で見ていた。
「何かして遊びましょう。ああそう、何にも道具がないわ。お人形が一つ……。それと、あたしがこうしてると、お人形のように見えなくって……。これから、時々来るのよ。そしてあたしを騙《だま》して頂戴。あたし男を騙したことはあるけれど、男に騙されたことは一度もない。それが淋しいのよ。何もあんたの奥さんになろうてわけじゃない。ただあたしを騙して頂戴、心まですっかり……。」
そんな風に、それからなおいろいろ、今覚えていないが、あたしはやたらに饒舌った。酔がまわって頭がふらふらしていた。そして臆病そうにしりごみしてる若い男の前に、あたしはつぶれてしまった。
その翌日の午後、あの人がやって来た。
あたしは眉をしかめて不機嫌な顔をしていたが、あの人の前に出ると、顔の皺がのびてしまった。君の顔には妙に皺や筋が少い、とあの人に云われたその顔を、思いきってしかめてやろうとしたが、それが出来なかった。そしてあの人のおおまかな捉えどこ
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