込みました。そして皆が寝静まった夜中に起き上って、隣の座敷へ忍び込み、客の金入れを盗もうとしました。もし眼を覚まされても、戸の隙間から外へ出られるから平気でした。そういう安心があったものですから、大胆《だいたん》にやっていますと、客が眼を覚まして「泥坊《どろぼう》!」とどなりました。五右衛門はびっくりして、すぐ雨戸の隙間から外へ術で逃げ出しました。ところがどうでしょう、そこは二階の屋根になっていて、下におりることが出来ません。まごまごしているうちに、宿屋中大騒ぎとなって、家の中はもちろん今にもこちらへ人が見廻って来そうです。五右衛門は命がけで屋根から飛び下り、したたか腰《こし》を打ったのも夢中で、逃げ出してしまいました。逃げるには逃げましたが、その時打った腰が後で痛んで、二三日は橋の下にうんうん唸《うな》っていました。
それでも五右衛門は、二度の失敗に性《しょう》こりもなく、また三度目の考えをいたしました。例の通り橋の上にお爺さんを呼び出して、ぜひにと願いました。
「もう今度きりですから、も一つ術を教えて下さい。私の身体《からだ》が人から見えないようにする術を教えて下さい」
「身体が見えないようにする術だな」
「はい」
そして彼は、その通りの術を教わりました。
四
今度こそ大丈夫《だいじょうぶ》だと彼は思いました。自分の身体が誰にも見えないというのだから、どんなことをしたって平気です。昼間から町へやって行きました。
ところが不思議なことには、後からぞろぞろ大勢《おおぜい》の人がついて来ます。術をつかっているのだから誰にも見えるわけはないのですが、それでも大勢の人がついて来るのです。変だなと思って注意してみると、がやがやした騒ぎの中に、こういう子供の声が聞き取れました。
「やあ、着物が歩いている……下駄《げた》が歩いている……お化《ば》けだな……石を投《ほう》ってやれ……捕《つかま》えてやれ」
五右衛門《ごえもん》はびっくりしました。なるほど考えてみると、身体だけが見えない術だから、着物や下駄は見えるわけです。しまったと思ってるうちに、石がたくさん飛んできました。かれは走って逃げ出しました。
「着物が走り出した。それ追っかけろ!」
大勢《おおぜい》の者がわいわい言って石を投りながら追っかけて来ます。五右衛門《ごえもん》は一生懸命に駆けましたが、向こうは大勢です。かわるがわる追っかけて来るのですから、彼はへとへとに疲れました。息が切れて走れなくなりました。頭や背中には石を投げつけられて怪我《けが》をしました。この上|捕《つか》まったら、どんな目にあわされるかわかりません。彼は下駄をぬぎ捨て、着物をもぬぎ捨てました、そしてまっ裸で逃げました。身体《からだ》だけは誰にも見えないものですから、ようよう橋の下まで戻って来ることが出来ました。
彼はもうどうすることも出来ないで、裸の上からむしろをかぶって、がたがた震えていました。頭や背中の傷からは血が流れ出し、それがずきずき痛んで、身動きをすることさえ出来なくなりました。
今度は五右衛門も、まったく閉口《へいこう》してしまいました。夜になると、痛みと寒さとで今にも死ぬような思いをしながら、橋の上まではい出してきまして、ポンポンポンと手を三度|拍《たた》きました。
白髯《しろひげ》のお爺《じい》さんがひょっこり出て来てにこにこ笑っています。五右衛門は泣かんばかりに願いました。
「もう術はいりませんから、どうぞ着物を一枚と食物を少し下さいませ。お願いでございます」
すると、アハハハとびっくりするほど大きな笑い声がしまして、「大馬鹿者の五右衛門!」と叫んだ者があります。五右衛門は地面にすりつけていた顔を上げて眺《なが》めますと、もうお爺さんの姿は影も形もありません。そして、木の葉を綴《つづ》った着物が脱ぎ捨ててあって、その上に握《にぎ》り飯が一つちょんと乗っかっていました。
五右衛門はあっけにとられて、しばらくぼんやりしていましたが、やがて正気《しょうき》に復《かえ》ってから、これはきっと神様が意見をして下さるのか、それとも狐《きつね》か狸《たぬき》に化《ば》かされたのか、どちらかだろうと思いました。どちらにしても、自分が泥坊《どろぼう》なんかをやるからこんなことになるのだと考えました。
彼はその握り飯を食い、木の葉の着物をつけ、橋の欄干《らんかん》につかまって立ち上がりました。もうこれから泥坊なんかはよそうと決心しました。
底本:「豊島与志雄童話集」海鳥社
1990(平成22)年11月27日第1刷発行
入力:kompass
校正:門田裕志、小林繁雄
2006年4月28日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文
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