二等車に乗る男
豊島与志雄

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)歩廊《プラットホーム》

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)小説2[#「2」はローマ数字、1−13−22]
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 十一月の或る晴れた朝だった。私は大森の友人を訪れるつもりで、家を出ようとしていると、高木がやって来た。
「お出かけですか。」
 玄関につっ立ってる私の服装をじろじろ眺めながら、高木は格子戸の外に立止った。
「ああ。……だが一寸ならいいから、上ってゆかない。」
「ええ……でも……。」
「実は約束しているので、余りゆっくりはしておれないが、暫くならいいから上り給え。」
「どちらへいらっしゃるんです。」
「大森まで。」
「大森。」
「ああ。」
「じゃあ……そこまで御一緒に行きましょう。」
 その「じゃあ……」を変にゆっくり口籠って、それから後を口早に云ってのけて、愉快そうに眼をちらと光らした。変な奴だな……と私は思ったが、別段気にもとめないで、一緒に外に出た。
 私達はとりとめもない話をしながら、電車停留場まで来た。すると高木は、東京駅まで一緒に行くと云って、電車の中までついて来た。電車はこんでいなかったので、二人並んで腰掛けることが出来たけれど、高木は妙に黙りこんでしまった。
 それから、東京駅の前につっ立った時、高木はいやに私の顔を覗きこみながら、突然尋ね初めた。
「電車でいらっしゃるんですか。汽車ですか。」
「勿論電車だよ。」
「大森までお一人ですね。」
「ああ。」
「それじゃ私も、大森まで御一緒に行きましょう。」
「だって君、無駄じゃないか。」
「いいえ、私も一寸用があるんです。」
「そんならいいけれど……。」
「お邪魔じゃありませんか。」
「どうして……。」
「いえ……。本当にお邪魔じゃないんですね。」
「ないとも。いやに念を押すじゃないか。」
 そこで高木は、一人でにこにこっとして、切符を買いに駆け出していった。
 先生今日はどうかしてるな……と思いながら、私は後からついていった。すると、彼は二等の切符売場の前につっ立っていた。
「おい君、」と私は後ろからその肩を叩いた、「三等でいいじゃないか。」
「いいんです、今日は私に任しといて下さい。」
「金でもはいったのかい。いやに気前がいいね。」
 彼は黙って、やがて私へ青い切符を差出した。
「贅沢な真似をするじゃないか。」
「だって、大森までならいくらも違やしません。」
「それはそうだが、僕は一体、桜木町行きのこの電車の二等は嫌いなんだ。汽車ならいい。だがこの線の電車の二等は、変に成金風が吹いて、不愉快なんだ。」
 高木は返辞もしないで、一人でにこにこしながら、改札口から歩廊《プラットホーム》の方へ歩いていった。その歩廊《プラットホーム》に立った時、私もまた不平を続けた。「こんな線の二等に乗るなんて、君にも似合わんじゃないか。」
「でも私は、他のところはどこも三等ですが、この線だけは二等にきめてるんです。」
 その調子が真面目くさってるだけに、私は少なからず驚かされた。いつも貧乏で、そして反ブールジョアジー的な口吻を洩してる高木が、最もブールジョア的なこの線の電車だけ二等に乗るとは、どう考えても不思議だった。
 が、そのうちに電車が来て、私達の話は途切れた。
 狭い車室ではあるが、乗客は七八人きりだった。
 高木は室の片隅に腰掛けて、私が話しかけても気乗りしない簡単な返辞をするきりで、その様子から表情まで、何だか一つのことを思い耽ってるがようだった。で私は、先刻の抗議で彼の気嫌を害したのかなと考えてみたり、彼は全く今日はどうかしてると考えてみたりしたが、結局彼の気持を尊重して、口を噤んで窓外の景色を眺め初めた。
 電車の動いてる間、高木はステッキの頭に両手をかけ、その上に顔を伏せて、足先に眼を落していた。そして電車が駅にはいると、急に顔を挙げ上半身を乗り出すようにして、歩廊《プラットホーム》に立ってる人々を物色し初めた。それが品川までくり返されたが、品川から先は、ステッキの頭に釘付にされたようになった。
 何かあるんだな……と私は感じたが、素知らぬ顔をして、とうとう無言のうちに大森まで来てしまった。
 大森で電車から降りると、高木はすぐに私と別れようとした。
「君も一緒に来ないか。差支えはないから。」
 私は少し気になってそう誘ってみた。
「いや、まだ一度も逢ったことがありませんから、またこの次にしましょう。」
「そう。……じゃあ、そこいらでお茶でも飲んでゆこうか。」
「ええ……。」
 曖昧な返辞だったが、それでも別段嫌でもなさそうに、彼は私の後について来た。私達は見
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