ていた。
 その頃から彼は、高子に対してひどく無関心な態度を取るようになった。高子が室に居ようが居まいが、それを少しも気にかけていないらしかった。彼女が何か云うと、ただ黙って首肯いた。承諾というよりも寧ろ機械的の反応らしかった。服薬や湿布や検温や検脈に、惜しむ所もなく身体をうち任した。重湯《おもゆ》を飲む時に、「少し熱うございますか。」と問われると、「うむ。」と返事をした。「丁度宜しいでしょう。」と問われると、やはり「うむ。」と返事をした。彼女の一寸した手不調から、吸飲《すいのみ》の水が口のはたにこぼれかかっても、彼は黙っていた。彼女の言葉や彼女の為す凡ては、宛も彼自身の一部であるかのようだった。それらを彼は殆んど無意識的に受け容れていた。
 然し信子に対して、彼の精神は過敏な反応を現わした。彼は一々彼女の言葉尻を捉えた。彼女の一挙一動を、執拗な眼で見守った。彼女が黙っていると、「何を考えているんだ。」と尋ねた。彼女が少し長く口を利くと、「僕を少し静にさしといてくれ。」と云った。暫くすると、彼女の方にくるりと頭を向けて、「何を澄し込んでるんだ。」と怒鳴った。彼女は種々なだめた。高子も側
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