彼の腕をさすり初めた。彼はされるままに任した。いつまでも涙が止まらなかった。看護婦が戻って来ると、彼は涙を見られまいとして、蒲団の襟に顔を埋めた。
「私が代りましょうか。」と看護婦は云った。
「いいえ、まだよござんすわ。」と彼女は答えた。
然し、次の室に木下の足音がした時、彼女は俄にさする手を休めた。啓介は蒲団から顔を出して云った。
「もういい。」
襖をことこと叩く音がした。――木下は室にはいる前に、襖を軽く叩く習慣になっていた。信子は啓介の側を離れた。啓介は天井を眺めた。
木下ははいってくると、信子の方をちらと見やって、火鉢の横に坐った。
「どうだい?」
「相変らずだ。」
最初の言葉を交してしまうと、啓介は何故ともなく安心の情を覚えた。彼は、一瞬間前の狼狽《うろた》えた自分自身を思い浮べた。それが恥かしくなった。木下の姿を眼の前に見ると、あらゆる気兼や狼狽や敵意や嫉視は消えてしまった。長い髪の毛、ゆったりした額、頬の滑かな面長の顔には少し短かすぎると思われる鼻、肩の張ったわりには細りとした上半身、平素見馴れた親しい友の姿は、彼の心を落付かして、一種の力強さをさえ与えた。
「こ
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