んだ。
 しめやかな沈黙が続いた。高子は一人で幾つもの風呂敷包みを拵えた。
 やがて木下は戻って来た。額は汗ばんでいた。彼は雅子にお辞儀をして、啓介の方へ口早に云った。本田医学士が便宜を計ってくれたこと、病院の一等室を一つ空けて貰ったこと、本田氏は容態を気遣ったが、大丈夫だと自分で引受けて無理に頼んできたこと、午後三時前に寝台車と俥四台とが来るようになってること、本田氏が病院で待っていてくれること、河村氏もその時病院の方へ来て貰えること……。
「俥は四台で足りるかしら、」と木下はつけ加えた、「僕は歩いて行くからいいが。」
「宜しいでしょう。」と高子が答えた。
 啓介は眼をつぶった。寝台車に運ばれて病院へやって行く光景が、眼瞼の中に見えてきた。それは丁度死体を運ぶがようだった。静まり返っていた。堪らなく淋しかった。何の物音もしなかった。眼を開くとその光景が消えてなくなった。木下が上目がちに天井の隅を睥んでいた。
「木下!」と啓介は云った。
「岡部!」と木下は答えた。
 数瞬間……そして木下はつと立ち上った。こみ上げてくる愛憎の戦《おのの》きを胸の中に押え止めながら、画室で一人で泣くために
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