間おき位には湿布を取り代えるように命じた。それから、一日に四回の注射を命じた。高子は、渡された淡褐色の注射液を眺めて眉を顰めた。
彼女は本田氏を玄関まで送っていって、一寸躊躇した後に云った。
「神経が大層興奮しているようですが、脳症を起すようなことはありませんでしょうか。」
「そうですね。」と彼は一寸考えた。「……なに起しても大したことはないでしょう。」
そして実際、高子の言も本田の言も、共に的中した。軽微な間歇的なものではあったが、明かに脳症の性質を具えていた。
病室に人が居ないと、啓介はよく上半身を起そうとした。じっと空間に据った眼付に凄い光りを帯びて瞳孔が開いていた。両腕には異常な力がはいっていた。容易に信子や高子の思うままにならなかった。然し木下の言葉には素直に従った。床の上に構わると、顔面の筋肉を硬直さしながら、手指を痙攣的に震わした。彼は木下をすぐ側に呼んで云った。
「僕をこの室に一人置きざりにしてはいけないよ。」
「そんなことをするもんか。」と木下は答えた。
「然し信用出来ないからね。」
その言葉は真実だか皮肉だか分らない調子のものだったが、一種悲痛な力が中に籠っていた。
その頃から彼は、高子に対してひどく無関心な態度を取るようになった。高子が室に居ようが居まいが、それを少しも気にかけていないらしかった。彼女が何か云うと、ただ黙って首肯いた。承諾というよりも寧ろ機械的の反応らしかった。服薬や湿布や検温や検脈に、惜しむ所もなく身体をうち任した。重湯《おもゆ》を飲む時に、「少し熱うございますか。」と問われると、「うむ。」と返事をした。「丁度宜しいでしょう。」と問われると、やはり「うむ。」と返事をした。彼女の一寸した手不調から、吸飲《すいのみ》の水が口のはたにこぼれかかっても、彼は黙っていた。彼女の言葉や彼女の為す凡ては、宛も彼自身の一部であるかのようだった。それらを彼は殆んど無意識的に受け容れていた。
然し信子に対して、彼の精神は過敏な反応を現わした。彼は一々彼女の言葉尻を捉えた。彼女の一挙一動を、執拗な眼で見守った。彼女が黙っていると、「何を考えているんだ。」と尋ねた。彼女が少し長く口を利くと、「僕を少し静にさしといてくれ。」と云った。暫くすると、彼女の方にくるりと頭を向けて、「何を澄し込んでるんだ。」と怒鳴った。彼女は種々なだめた。高子も側
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