何のことだか。だが、訳の分らないちぐはぐなところが、実は肝腎なんだろう。他の女給たちもやってきて賑かになり、南さんもけろりとして冗談口をききだしたし、蓄音機も先程からじゃんじゃん鳴り出し、客もふえてきた。おれも酔っ払うとしようかなと考えた。どうです、と南さんに囁いてやると、南さんはにやりと笑った。気色のわるい笑い方だ。頭の大部分が酔いしびれて真中にぽつりとさめてるところがあるような様子だ。
 それにしても、登美子はあれからちょっと出てきて、たて続けに酒をのんだきり、どこかへ行ってしまった。おれは待ちくたびれて、何をしてるのか見にいってみた。
 向うの、ボックスの奥に、ただ一人ひっこんで、彼女は鉛筆をなめていた。顔を真赧にしていた。その前の書箋をのぞきこんで、ははんとおれは思った。
 彼女は書いていた――
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あなたが私に感謝していらっしゃるように、私もあなたに感謝しております。ばかばかしく感謝しております。――(そこで彼女はつかえている。おれは助言してやった。彼女は書いた。)――私はあなたから特別にお金を頂いたことはありません、昨夜も、だから、対等に感謝してよいわけです。あなたは卑怯です、悪魔みたいです。――(おれは苦笑した。だが彼女がまたつかえたので助言してやった。)――恋人があるのに、よくもたくさんの女が好きになれますのね。私も、恋人はいないけれど、みんな好きになりましょう。それとも、みんな憎んでやりましょうか。でも、御安心下さい。あなたを好きになっても、憎んでも、決してあなたにつきまといはしませんから。――(私は一人で淋しく……と彼女が書きだしたので、おれはびっくりして、それをすっかりぬりつぶさして、助言した。)――お金にもならないのに、誰がつきまとうものですか。あなたはその恋人とやらを、安心して愛しておあげなさい。私はその人の顔に、唾をひっかけてやります。
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 彼女は鉛筆を置いて考えこんだ。涙ぐんでるらしい。あぶない、と思っておれはせき立てた。彼女は書箋を封筒におしこんで、封をするのも忘れて、馳けだしていった。
 南さんは二人の女給を相手に飲んでいた。そこへ登美子はとびこんだ。
「南さん、あたしを好きだと云ったでしょう。いやしくも、好きだと云ったでしょう。ほんとに云ったでしょう。」
 南さんはきょとんとして、言下に
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