ましたから、柿をすこしたくさん貰いました。豪い人ですから、子供と一緒にはなりません。名前はご存じでしょう、吉村先生……あの、むつかしい小説ばかり書いて、自分でも困ってる人です。御紹介しましょう。」
「吉村……なんという人なの。」
「吉村清志……あのこないだも……。」
 李がなにか饒舌ってる時、君枝はちょっと小首をかしげがちに、片手をかるく頬に、そして片手で鬢の毛をかきあげる素振りをして、それで李の方へ表情を隠しながら、庭に少し距ってる吉村の方へ、眼を二つ三つ大きくまたたいてみせた。黙っているようにとの合図らしかった。
 だが、そのちょっとした悪戯よりも、彼女の素振りのうちに、吉村は意外なものを発見した。肺を病んで、神経質で、痩せて、骨立って、顔色も浅黒く、そればかりか、日常の言語は、へんに精神的だがぽきりと棒ぎれのようだし、挙措動作も、はきはきしてるがぎごちなく、謂わば凡てに女性的な濡いと曲線とが乏しい彼女なのだが、その時の彼女の素振りには、おのずから流れ出た子供っぽいものがあったのだった。その意外な発見に、吉村はなにか虚を衝かれた気持で笑顔も浮ばず、自然と初対面のような態度で、近づいていった。
 李はすぐに紹介しはじめた。
「吉村先生です。……こちらは、上山君枝さん、たいへん文学が好きなかたで、いえ、女流文士で、私の先生です。」
「まあ、たいへんなことになりましたね。いつのまにか、女流文士で、李さんの先生で……。」
 吉村が一人笑って、云った本人の君枝もまた李も笑わなかった。
 君枝はナイフや皿を取寄せて、柿をすすめながら、李との初対面のことを話すのだった――
 或る日、夕方、君枝が縁側に腰掛けて雑誌を見ていると、垣根の外から、ボールがはいったから取らして下さい、と子供の声がした。お取りなさい、と君枝は答えた。裏の木戸から人がはいって来る様子だった。それからだいぶ暫くして、もうそのことを忘れた頃、一人の青年が走って来た。手に柿を持っていた。あまり美しい柿だから、ちょっとさわってみると、もう熟して、おいしくなっている。だから、僕たち、一つずつ貰いました。どうぞ下さい。とそう云うのである。眉から眼から鼻立へかけてきりっとした白皙の顔で、それがどこかのびやかなところがあり、それに言葉がぶっきら棒なのがおかしく、(勿論これだけは李の前では彼女は話さなかったが、)何よりも、柿を既に貰ったと云いながら下さいと云うのがおかしく、ええどうぞと彼女はたのしく答えた。すると青年は云った。僕たちは四人だが、一つずつ貰うつもりで、五つもいでしまった。一つ余るから、これは返します。うまい柿だから、食べてみて下さい。そしてこちらから持って来てでもやったかのように、縁側に柿を一つ置いて、走って行ってしまった。――それがきっかけで、時々、村の子供を二三人つれて、三つ四つずつ、柿を取りに来るようになった。懇意にもなったというのである。
「なるほど、李君の面目躍如たりというところだね。」
 吉村は愉快そうに云ったが、李は別に悄気るでもなく得意がるでもなく、平然としていた。
 柿を食べてから三人で、海辺を少し歩いた。
「先生、お仕事は、お捗りになりまして。」
 先刻のことも忘れて、君枝はそんなことを聞くのだった。だが、李は感じているのかいないのか、吉村と君枝とが前から識ってる間であるばかりか、此処でも既に往来してることが、態度や会話に明瞭に現われても、一向気に留めてる風もなかった。

       二

 君枝は吉村の宿を訪れるのを遠慮していたらしく、吉村が最初に訪れた後、一度訪れて来、それからちょっと庭先に来たきりだったが、其後は、李と二人で、しばしば吉村の宿に遊びに来たり、散歩に誘いに来たりした。その地で吉村は、ただがむしゃらに、原稿紙に文字を埋めることにかかっていて、構想や夢想に耽ってる場合でなかっただけに、次第に、二人へのおつきあいの時間が惜しまれてきた。
 吉村がこちらに来て上山君枝を訪れたというのも、実は病気見舞かたがた、といっても彼女の肺患は軽微なもので、まあ謂わば、その心境打診のためもあったのである。君枝の良人の正彦は吉村の旧知で、君枝が随筆風な或は小説風なものを書き綴るようになってから、吉村さんにでも見て貰ったらと口を利いたのが正彦だった。既にその頃から、彼等夫婦の間は面白くゆかなかったらしく、君枝が肺を病んで海辺の別荘に来てからは、正彦は相当な財産があるにまかせて放埓になり、或る恋愛問題にまではまりこんでいた。この恋愛問題については、吉村と上山は明らさまに話し合ったことはなかったが、既に君枝にまでうすうす知れてることが二人の間に了解されていたのである。危い瀬戸際だということが、吉村にはっきり感ぜられ、自分の尽すべき途はないかとまで考えていた。
前へ 次へ
全6ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
豊島 与志雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング