三度表の方を覗きに行った。久七は古新聞紙の切端に包んだ物を寝床の横から取出して、上り口までのっそり起き出て来、彼女の様子を怪訝そうに見守っていた。
 飯がぐつぐつむれてる間、つる[#「つる」に傍点]が一寸上り框に腰をかけた時、久七は新聞紙包みを大事そうに差出した。
「これお前にくれてやるべえか。」
 云いながらにこにこ笑ってるので、つる[#「つる」に傍点]は一寸手を出さなかった。
「そうら!」
 投り出すはずみに紙が破けて、椿の実が転り出した。
 土間へ転り落ちそうなのを四つ五つ両手で押え止めながら、つる[#「つる」に傍点]は大きく見張った眼をくるりと動かした。
「こんな物《もん》何するつもりだね。」
「お前にその髪毛洗って貰うべえと思っただ。」
 つる[#「つる」に傍点]は首を縮こめて笑いだした。
「こんな青っぺえなあ、あくがあって駄目だあ。お前の髪洗うにゃよかべえ。……おらが拵えてやろ。」
 彼女は一寸考えてから、椿の実を包んで表へ飛び出した。
 久七は呆気にとられてぼんやりした。それから、くしゃくしゃな渋め顔をして首を垂れた。
 が、つる[#「つる」に傍点]は長い間戻って来なかった。池の実を[#「池の実を」はママ]石で割るらしい音が暫く続いて、それからひっそりとしたが、まだ戻って来なかった。久七はひょいともたげた首を傾《かし》げて、表の方に気を配りながら考え込んだ。その途端に、くすくすと忍び笑いの声がした。気のせいかも知れないのが、再度の忍び笑いに本当だと分った。
 久七は物に躓いたようにぎくりとした。上り口から匐い下りて、土間伝いに戸口へ近づき、半ば開き残されてる戸の節穴を探しあてて、其処からじっと覗いた。
 暮れてしまってるのに、月が出たのか茫と薄明るかった。四五本小杉が並んでる茂みの向うに、一塊りの黒い影が動めいていた。ひそひそ囁く声の間合に、擽ったそうな忍び笑いの声が洩れてきた。久七は石のように身を固くして、眼と耳とに注意を凝らした。が何もはっきりとは見えも聞えもしなかった。長い間のようだった。と、「いやあ」とはね返るような声がしてつる[#「つる」に傍点]が飛び出してきた。後から平吉の姿がのっそり出てきた。口に掌をあてていた。つる[#「つる」に傍点]はそれを振り向いて、首をひょいと縮めて「ふふふ」と笑ったが、急に両腕を大きく拡げて、彼の首っ玉へ飛びつい
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