連って、霜とも露とも知れないものに光っていた。と、彼は俄に首を伸して見つめた。彼方の大きな藁ぼっちの、月の光りを受けない影の所に、二人の人影がくっついて蹲っていた。彼はなお瞳を凝らした。それから、歯をむき出してにっと微笑んだ。然しその狂気じみた笑顔が静まりかけると、俄に恐ろしい形相に変った。歯をくいしばってぶるっと震えた。
 彼ははっと身を引いて、それから帯をしめ直した。表の戸からぬけ出した。
 先刻の藁ぼっちへ見当をつけて置いて、遠廻りに忍び寄って行った。身を隠す影がない所は、田の畦の横を犬のように四つ匐いになった。霜柱がざくりざくりと砕けた。
 東の空に昇った円い月の光りが、一面に漲り落ちていた。その光りを受けてる方面へ、彼は藁ぼっちに匐い寄った。息をつめて耳を澄すと、囁き声と忍び笑いの声とが、先夜の通りだった。彼は眼を輝かしながら、口をあんぐり開いて、そっと覗いてみた。一つになって屈み込んでる男女の姿がちらと見えた。瞬間に「あれえ」けたたましい女の声がした。
 彼は喫驚してつっ立った。すぐ眼の前に、つる[#「つる」に傍点]と平吉とが月の光りを正面に浴びて立っていた。彼は驚きと恐れと怒りとで心が顛倒した。
「己《おのれ》、逃さねえぞ!」
 叫んだのが声に出たかどうか、自分では知らなかった。いきなりつる[#「つる」に傍点]に飛びかかって、左脇にその首根をはさみつけ、右手で身を防ぐ構えをした。が平吉は一散に逃げ出した。彼はその後から投げつけてやるために、身を屈めて石塊か土塊かを探したが、あたりに見当らなかった。その身を屈める拍子に、小脇のつる[#「つる」に傍点]が声を立てずにびくりびくりと全身で震えるのを、なおぎゅっと腕に力を籠めた。そしてそのまま、ぶるぶるっと水からもぐり出る様な気味で、身を起しながらつっ立った。
 一面に月の光りが流れてるきりで、見渡す限りひっそりとしていた。
「おつる[#「つる」に傍点]坊、もう逃しはしねえぞ!」
 独語の調子でそう云って、久七はつる[#「つる」に傍点]を引きずりながら歩き出した。つる[#「つる」に傍点]の草履が足先からぬけ落ちて、其処に残った。
 彼は熱に浮かされた眼を見据えながら、家の前まで辿りついた。表戸をがらりと引開けて、小脇のつる[#「つる」に傍点]を突き入れた。
「へえれよ。」
 だが、彼女は土間にばたりとぶっ倒れた
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