いて、車の轍の浅いところを見ると、人通りの少い道らしかった。いつのまにか山裾を離れて、ゆるやかな河流に沿って、細々と遠くどこまでも続いている。
 ふと気がついてみると、前方に何やら妙な音がしていた。不思議に思いながらそれでも力を得て、足を早めて追っかけてゆくと、空の荷車を一人の男が引いてゆくのだった。真黒な着物に草鞋ばきの農夫体の男で、帽子も被らずただ手拭で鉢巻をして、燈火一つつけないで、真暗な中をがらがら空車を引張っている。全くの空車で、縄一筋のっかってはいない。
 僕は変な気がして、少し間を置いてついてゆくと、男は僕の提灯の火に気付いてか、ひょいと振向いた。その顔立は分らなかったが、ぎくりとしたらしいのが様子に見えた。僕も何だかぎくりとして、咄嗟の間に尋ねかけた。
「あの、一寸お尋ねしますが……。」そして、友人の村を名指した。「そこ迄ゆくには、この道を行ったらいいでしょうか。」
「そうだよ。」
「まだ遠いんでしょうか。」
「もうじきだ。」
 素気ない返辞ではあったが、まさしく人間の声音だったので、僕は安心するとともに元気づいて、すたすたと通り越した。その僕をやり過しながら、じろりと
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