会がすんだらすぐに来て頂きたいと、三浦先生からのおことづけでした。御食事の用意もして待っているからと、仰言っていらっしゃいました。」
木原が黙っていますと、彼女は口早に囁きました。
「電話が通じなくて、困りましたのよ。いらっしゃいますわね。」
木原は機械的に頷きました。
三浦さんが至急逢いたがってるとすれば、それは多分、照子に関することであろうかと、木原は考えました。然し、照子はいつもの通りの様子で、心に何の懸念もなさそうでした。――木原はもう酒をたくさん飲んでいる上に、更にまた飲みました。そして酔いました。照子とのことを近頃いろいろと思い悩んでる上に、前夜は思わず読書にふけって殆んど眠らなかったし、なにか苛立った憔悴のうちにありましたので、なおのこと酔いました。そしてソファーにもたれてとろとろとしましたが、眼がさめてみると、広間の光景が、同僚たちの有様が、へんに生々しく眼に映じてきました。三浦さんの家へ行ったものかどうかと、頭の奥のはるかな片隅で考えながら、広間の中を見渡しました。
白い塗料がくすんでる高い天井、幾つかの広告ビラが鋲でとめてあるだけの裸の壁面、コンクリートの床、配置を乱して一方へ片寄せられてる卓子や椅子……見ようによっては空き部屋とも思えるその長方形の広間に、なにか嘲笑の空気が漂っていました。それは何から醸し出されたものでしょうか。独特な思想を持ってる者や、常識的な共通な思想を持ってる者や、何等の思想をも持たない者たちが、各自に勝手なことを饒舌りちらしていたからでありましょうか。甘いのを好きな者や、酸っぱいのを好きな者や、辛いのを好きな者たちが、各自に飲んだり食ったりしていたからでありましょうか。新らしい靴をはいてる者や、破けた靴をはいてる者や、代用靴をはいてる者たちが、各自に自分の靴のことなど忘れてしまっていたからでありましょうか。寒くて震えてる者や、熱くて汗をかいてる者や、熱くも寒くもない者たちが、各自にそのことを自意識していたからでありましょうか。それは兎に角、彼等の中にまた上に、嘲笑の気がたなびいていて、それが、道化てみろ、もっと道化てみろと、囁いてるようでありました。そして彼等は各自に、道化者になりたがりながら、一方ではその気持ちを自嘲していました。
木原は窓のところへ行って、それを開けました。外はへんに明るく、次に白く見えました。雪が薄く積っていて、まだちらほら降っていました。
長身の白井がやって来て、上から木原の肩を捉えました。
「おい、寒いじゃないか。雪見はあとにして、こっちい来いよ。まだウイスキーがたくさん残っている。」
白井の口笛に歩調を合せて、二人は酒の方へ行きました。
その向うで、山崎が道化ていました。
彼は照子の手を執って、一人でダンスのまねをしていました。
「意外ですねえ、あなたがダンスを知らないなんて。」彼はくるりと廻りました。「いや、そんな筈はありません。」またくるりと廻りました。「然し、僕と踊って下さらなくても、一向構いません。」またくるりと廻りました。「森村家の御令嬢で、三浦画伯の愛弟子で、そして……。」またくるりと廻りました。「そのお手を執らして頂いただけで、僕は充分に光栄です。」
彼はステップを踏んで、そしてくるくると廻りました。
そういう山崎に、片手の先を任せながら、照子は椅子にかけたまま、心持ち微笑を浮べてるように見えました。貴婦人がサロンで男に応対する態度とも、言えないことはありませんでした。彼女は眼鏡をかけていましたが、その枠縁が目頭のところで白銀色にちらちらと光り、近眼鏡の奥に眼眸が静かな光りを湛え、それら二つの光りが彼女を清純なものに見せました。
その時、どうしてだかよく分りませんが、或は、踊っている一組の者が近づいて来たのをよけようとしてか、或は、ちょっといたずらな身振りをするつもりでか、山崎は少しく照子に近寄りすぎたようでした。照子は立ち上りました。山崎はあわてて後退するはずみに、そばの卓子にぶっつかりました。卓上で、まだ半分ばかり残ってるウイスキーの瓶が倒れかかり、それへ照子は手を伸しましたが、瓶はすべって床に転がり落ち、音を立てて砕けました。
床に流れたウイスキーを、山崎は、手でしゃくって飲むまねをしました。
「おい誰か、ワンワンと吠えてみないか。そしたら僕が、犬のまねをしてこの酒をなめてみせる。」
「御婦人連にその合唱を頼もう。」と誰かが言いました。
笑い声が起りました。
ところが、一陣の冷りとした気配が流れました。――照子は黒革のハンドバックを取って、編輯局長といういかめしい肩書のある尾高の方へ、真直にやって行きました。
「粗相をしました。弁償致します。」
百円札を五枚、彼女は卓上に置きました。
尾高は呆気にとら
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