会がすんだらすぐに来て頂きたいと、三浦先生からのおことづけでした。御食事の用意もして待っているからと、仰言っていらっしゃいました。」
 木原が黙っていますと、彼女は口早に囁きました。
「電話が通じなくて、困りましたのよ。いらっしゃいますわね。」
 木原は機械的に頷きました。
 三浦さんが至急逢いたがってるとすれば、それは多分、照子に関することであろうかと、木原は考えました。然し、照子はいつもの通りの様子で、心に何の懸念もなさそうでした。――木原はもう酒をたくさん飲んでいる上に、更にまた飲みました。そして酔いました。照子とのことを近頃いろいろと思い悩んでる上に、前夜は思わず読書にふけって殆んど眠らなかったし、なにか苛立った憔悴のうちにありましたので、なおのこと酔いました。そしてソファーにもたれてとろとろとしましたが、眼がさめてみると、広間の光景が、同僚たちの有様が、へんに生々しく眼に映じてきました。三浦さんの家へ行ったものかどうかと、頭の奥のはるかな片隅で考えながら、広間の中を見渡しました。
 白い塗料がくすんでる高い天井、幾つかの広告ビラが鋲でとめてあるだけの裸の壁面、コンクリートの床、配置を乱して一方へ片寄せられてる卓子や椅子……見ようによっては空き部屋とも思えるその長方形の広間に、なにか嘲笑の空気が漂っていました。それは何から醸し出されたものでしょうか。独特な思想を持ってる者や、常識的な共通な思想を持ってる者や、何等の思想をも持たない者たちが、各自に勝手なことを饒舌りちらしていたからでありましょうか。甘いのを好きな者や、酸っぱいのを好きな者や、辛いのを好きな者たちが、各自に飲んだり食ったりしていたからでありましょうか。新らしい靴をはいてる者や、破けた靴をはいてる者や、代用靴をはいてる者たちが、各自に自分の靴のことなど忘れてしまっていたからでありましょうか。寒くて震えてる者や、熱くて汗をかいてる者や、熱くも寒くもない者たちが、各自にそのことを自意識していたからでありましょうか。それは兎に角、彼等の中にまた上に、嘲笑の気がたなびいていて、それが、道化てみろ、もっと道化てみろと、囁いてるようでありました。そして彼等は各自に、道化者になりたがりながら、一方ではその気持ちを自嘲していました。
 木原は窓のところへ行って、それを開けました。外はへんに明るく、次に白く見えまし
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